「クルマ王国」米国で進化した路面電車の実力 市街地の軌道を地下化、ライトレールに脱皮
これと並行して、運営面でも欧州に倣い、経営主体が民間企業から地域公社などに移行するとともに、税金や補助金を主体とした運営に切り替わった。公共交通への投資は道路や学校などと同じように、収益性で判断するものではなく、地域にどれだけの効果をもたらすかという視点で考えるべきという判断であり、日本と大きく異なる発想である。
このように米国はLRTという言葉は生み出したものの、参考にしたのは欧州であり、新しいのは名前だけという人もいるだろう。しかし現地のLRTを見ると、欧州のそれよりも大胆かつ柔軟な、同国らしい手法も見ることができる。
筆者は昨年、オレゴン州ポートランドの事例を紹介したが(2017年3月17日付記事「『車優先』からいち早く転換した米大都市の今」)、ここでは今年訪れたカリフォルニア州サンフランシスコとペンシルベニア州ピッツバーグのLRTを取り上げる。
サンフランシスコの乗り物といえば…
サンフランシスコの乗り物と言えば、多くの人がまずケーブルカーを思い出すだろう。1873年に開通した、現存する世界最古のケーブルカーであり、坂の多い港町を象徴する存在になっている。
サンフランシスコの公共交通はケーブルカーだけではない。ケーブルカーを運行するMUNI(サンフランシスコ市交通庁)はこれ以外にライトレール、ストリートカー、バス、トロリーバスも走らせている。ちなみにMUNIは1906年の大地震を契機に組織化され、1912年から運行を始めた。米国でいち早く都市交通の公営化を実現した組織でもある。
ライトレールとストリートカーの違いはポートランドと似ていて、ダウンタウンと郊外を結ぶのがライトレール、ダウンタウン内を走るのがストリートカーだ。広島電鉄で言えば市内線がストリートカー、宮島線直通電車がライトレールに相当する。
ただし1980年以降に新設したポートランドのライトレールとストリートカーに対して、MUNIメトロと呼ばれるライトレールは、1912年から走り続けている路面電車がライトレールに進化したものだ。第二次世界大戦直後にMUNIは多くの路線をバスに転換しており、現在存続するのはJ/K/L/M/Nの5系統になる。
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