知っておきたい「エルサレム問題」の基礎知識 米大使館の移転で緊迫化したのは当然だ
●エルサレムの現代史と現在の状況は。
国連総会は1947年、当時英国が委任統治していたパレスチナについて、アラブ国家とユダヤ国家に分割されるべきとする決議案を採択した。同決議案は、エルサレムの特別な扱いを認め、ベツレヘムとともに国連が「分離体」として管理する方法を提案していた。
しかしそれは実現しなかった。英国によるパレスチナ支配が1948年に終了すると、ヨルダン軍がエルサレム旧市街とアラブ人が居住する東エルサレムを占拠。イスラエルは1967年の第3次中東戦争でヨルダンから東エルサレムを奪い併合したが、国際的には認められていない。
イスラエル国会は1980年、エルサレムが首都として「完全かつ統合」された都市だと宣言する法案を可決。しかし国連は、東エルサレムは占拠されているものとみなしており、エルサレムの状況は、イスラエルとパレスチナの交渉によって解決されるまで係争中としている。ヨルダン国王は、イスラム教の聖地を管理する役割を維持している。
グアテマラやパラグアイも移転
●エルサレムに大使館を置く国は他にもあるのか。
グアテマラは16日、大使館をテルアビブからエルサレムに移転する。パラグアイも今月末までに移転する予定だ。
ネタニヤフ首相は4月、米国の移転決定を受け、少なくとも6カ国が真剣に同様の措置を検討していると語った。ただし、その6カ国がどの国であるかは明らかにしなかった。
国連総会は昨年12月、エルサレムの首都認定を取り下げるよう米国に求める決議案を、128カ国の賛成によって採択している。反対は9カ国、棄権は35カ国。同決議には法的拘束力はない。
●次に何が起きるか。
米国大使館の移転が発表されて以降、エルサレムやガザ、ヨルダン川西岸でパレスチナ人による抗議活動が活発化し、緊張が高まっている。ガザの境界沿いで6週間にわたり続く抗議デモでは、イスラエル軍部隊との衝突により、パレスチナ人60人近くが死亡している。
5月15日はパレスチナ人にとって、1948年5月14日にイスラエルが建国され、大量のパレスチナ難民が発生した日として記憶されている。その前日に米大使館が移転されたことで、この日に特別な意味が込められることを考慮すれば、デモは15日に最高潮に達するだろう。
パレスチナ人のデモ参加者とイスラエル軍との衝突は、1987─1993年と2000─2005年の第1次・第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)の規模には及ばないが、主権と宗教の問題を巡ってはこれまでにも暴力が発生している。
1969年、オーストラリアのキリスト教徒がアルアクサ・モスクに火を放ち、損傷を与えた。第3次中東戦争からわずか2年しかたっておらず、中東の政治情勢が過熱する中、アラブ世界に怒りが渦巻いた。
2000年当時、イスラエルの野党党首だったアリエル・シャロン氏は同国議員の一行を引き連れて「神殿の丘」(ハラム・アッシャリーフ)を訪問。パレスチナ人はこれに抗議し、イスラエル側と衝突。すぐさまアルアクサ・インティファーダ(第2次)として知られる蜂起にエスカレートした。
昨年7月には、イスラエル警官2人がアラブ系イスラエル人に射殺された事件を受け、イスラエルがエルサレム聖地の入り口に金属探知機を設置したことにより衝突が発生し、死傷者が出る事態に発展した。
アラブ諸国の指導者は、米国による一方的な措置は混乱を招き、長く停滞するイスラエルとパレスチナによる和平交渉の再開に向けた米国の努力を無駄にしかねないと警告している。
(Stephen Farrell 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)
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