コーマは1922(大正11)年、盛善社長の祖父・吉村駒三氏が創業。河内木綿の栽培や生産をしていた土地柄で、綿の靴下を作り始めました。近隣の紡績工場の女性工員の制服が洋装になったので、その需要を見込んだのです。当時は足袋が全盛で、靴下はまだ珍しい時代でした。
「祖父は進取の気性に富んでいたわけで、今でいうベンチャー企業です」と吉村社長。社名の「コーマ」は、創業者の名前から取られていますが、ほかに高級品のコーマ糸(高級綿細番手糸)とその糸を梳(くしけず)る櫛(コーム)も意味しています。綿の高級靴下をきちんと作っていきたい、という思いが込められているのです。
ナイロンブームに乗り遅れ
1960年代に入り、コーマに危機が訪れます。今ではあまり聞かれなくなりましたが、「戦後強くなったのは女性と靴下」といわれた時代がありました。その靴下が強くなった原因が、ナイロンです。綿に比べ伸縮性に富み発色性も良いナイロン製靴下は、爆発的に売れました。綿の靴下にこだわったコーマは、そのナイロンブームに乗り遅れてしまったのです。
しかし、そこで長年培ってきた「玉虫技術」が活きます。玉虫技術とは糸の編み方で、表と裏で違う色の糸を編み、角度によって色が変わって見える製法です。その技術で表に綿、裏にポリウレタン製の素材を使い、綿の吸湿性とポリウレタンの伸縮性を併せ持つ靴下を作りました。ボウリング、ゴルフなどに使われ、特にゴルフ用は月100万足という大ヒットになりました。
そして次の危機が、1990年代以降に到来した靴下の「価格破壊」です。工場を中国に移す会社も増え、デフレで安い製品が求められました。そこで吉村社長が取り組んだのが、冒頭に述べた3Dソックスでした。高機能であれば、価格が高くてもニーズはある、との思いでした。
「2002年ごろから取り組みました。親指・小指の付け根、そしてかかとに各々フィットし、土踏まずは伸び止まるようにしたいと考えました。でも、スケッチしてできそうだと思っても、実際に機械に落とし込むと違うんですよね」(吉村社長)。同社の自動編機は一般用で、特殊な機械は使っていません。
スケッチどおりにプログラムしてパソコンを動かすと、想定外の動きのためエラーが出て止まってしまいます。パターンと編成部分に工夫・改造を加えて試行錯誤を繰り返し、ようやく試作品が出来上がったのは、ほぼ1年後でした。
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