アフリカ人が日本で「大学長」になれた理由

「外国人」として勝負はしなかった

「そんなわけで、私たちは中国と世界とを結ぶ懸け橋だったのです」とサコ教授は言う。「私たちは、決して見る機会のない世界に関する知識を提供できる外国人でした。当時、欧米へ行くことができる中国人はごくわずかでした。ですが、私たちは海外に出て何でも見ることができました。なので、私がパリや香港に行って戻ってくると、中国人のクラスメートたちは、写真を見たいと言ったり、香港にはどんな本があるかを知りたがったりしたものです」。

残念なことに、アフリカ人学生のことをよそ者で危険な存在と見なす中国人もいたので、アフリカ人学生は団結する必要があった。そこで、アフリカ人の学生と研修生の合同組合を組織。サコ教授自身、実行委員の1人となり、起こりうるどんな事態にも対応できるよう準備した。

中国人がアフリカ人に「敵意」を抱いたワケ

ちょうどその頃、中国で大規模な人種差別事件が起こった。欧米でも報道されるほど大きな事件だった。すでにこの経済改革時代の経済混乱で中国政府に苛立ちを覚えていたうえ、天安門広場の大虐殺を招いた全国規模の民主化要求抗議行動の直前にあった中国人学生が、アフリカ人の学生に対して暴力的抗議行動を仕掛けたのだ。

アフリカ人学生に対する敵意がなぜそこまで高まったのか、サコ教授は自分なりの考えをこう語る。

「当時の中国人の一般水準と比べると、私たちは良い待遇を受けていました。奨学金は大変高額で、私たちは人生を楽しみ、音楽を聴き、満足していました。そして中国人の目にもそう映ったのです。ですが中国では、アフリカ人とは裸で木の上に住んでいるものだと考えられていた。私たちは何も持っていないはずだった。中国では国民はアフリカ人についてこのようなイメージを見せられていたんです。中国の暮らしがアフリカの国々の暮らしよりも良いことを示すためです。

それなのに、自分の前にいるアフリカ人はいい服を着て、旅をし、音楽を聴いたり踊ったりし、自由で幸せそうだった。そのうえ、中国人女性も手に入れていたのです。妬み。それが争いの大きな要因となったのです」

1988年の12月、アフリカ人と中国人の学生との一連の対立事件や、アフリカ人男子学生数人とその中国人のデート相手のケンカに始まり、結果的に数人の怪我人まで出た近隣の河海大学での事件に端を発し、南京抗議行動が始まった。

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