アフリカ人が日本で「大学長」になれた理由

「外国人」として勝負はしなかった

京都精華大の教員の一員として、そして日本人とは日本語で流暢に、外国人とは効果的に対話することができる個人として、サコ教授は一種の文化橋脚の人間版となった。同僚にとって、外の世界の知識を求める際には期待できるし、外国人のスタッフや学生、訪問者に対応する際には仲介役や大使として頼りにできる人物となったのである。

日本語、中国語、フランス語、英語、そしていくつかのアフリカ言語に流暢なことが、この地位をさらに高めるのに役立った。そして、気が付くと、非常に影響力のあるカリキュラム委員会を含む、各種の委員会委員に任命されていた。

学長になるまでの道のり

それからまもなく、サコ教授は所属学部の将来を検討するため、同僚を集って特別委員会をつくった。そして、同委員会のメンバーと共に教務委員会の委員にもなり、学部運営に影響力を持つメンバーをカリキュラム委員会に配置することができるようにもなった。

同じメンバーで力を合わせて将来構想を練り、日本のニーズに最も適した学習コースを設計する作業も始めた。学部長に任命される頃には、サコ教授はより上の地位に就く態勢を整えていた。そして実際、学校全体を運営する機会が訪れた時には、サコ教授はその責務を負うだけの力量を備えていた。とはいえ、ここからが大変だった。

まず、候補者になるには、教職員または大学職員の推薦が最低10人分必要だった。推薦の前には、任意ではあるが討論会が開かれることになっていた。教職員全員の前で、もちろん日本語でやらないといけない。

推薦されると、今度は全学生の前で2度目の討論会が開かれた。テーマには、大学の将来に関するビジョンや、自分のアイデアをどのように実行に移すか、といったものが含まれていた。ほかの2人の候補者はどちらも日本人で、同大学での勤務年数も長かった。そして最終的に、サコ教授は勝利を収めることになる。しかも歴史的な波及効果をもたらす勝利だった。

「これらすべてが裏付けとなり、自分は黒人やマリ人だから選ばれたわけではない、と自信を与えてくれました」とサコ教授は言う。「私が選ばれたのは、私が、ほかの候補者と同じレベルで挑戦することができたからであり、私のアイデアの方が優れていたからであり、私には変化をもたらす可能性があったからだったのです」。

こうして、ウスビ・サコ教授はこの4月、同大の学長に就任した。同教授は、24年来の妻と、2人の息子と共に京都に住んでいる。

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