東国原氏の欠点は、機が熟す前に調子に乗ること
ただし、東国原氏の問題は、機が熟す前に“調子に乗る”ことである。2008年から9年にかけて宮崎県知事としての人気が高かった頃、人気にあやかろうとした不人気の自民党に対し、自民党から出馬する条件に自分自身を総裁にするよう条件付けしたことは反発と失笑を買っていた。その時自分が自民党総裁になっていたら、一体何ができたというのか全く謎である。
また宮崎県知事の任期をまっとうするまでは国政に参加しないとも当初は言っていたが、すぐ“私を閣僚か総裁にするのなら”と変節して国政に色気を出していたのは、“自分が貢献できることより、目先の権力志向の政治家”によくあることであり、この程度の不誠実さは見過ごすべきなのだろうか。
東国原氏は宮崎県知事だからこそ輝いたタイプだが、地元の恩を忘れ宮崎県知事を続投することなく東京都知事に色気を出して敗北したのは今思い返しても残念だ。その後浪人生活でメディアに取り上げられない日々をしばらく過ごしたあと、今度はタレント仲間だった維新の橋下氏に誘われて維新として比例で国会議員に当選したわけだが、滅びゆく政党でしかも都知事選で戦い敗れた石原氏がいて影響力を発揮できない中、自分自身が一番輝けていた“宮崎県知事”のポストに再び舞い戻ろうとしている。
宮崎県民は、東国原氏を再度選ぶのか?
機を見ては東京都知事を目指したり、自民党総裁を目指したり、維新から出馬したり、そして宮崎知事に舞い戻ろうとしたりする姿からは“いまこのコミュニティには、私が必要だ”“この人達のために、私だからこそこれこれの問題が解決できる”という信念が感じられず(まぁ政治家はほとんどそんな感じなのだが)、調子に乗って、国民的な知名度にかまけて自分に投票してくれた人への誠意が欠けている気がする。
過去のいきさつを考えた時に、もはや東国原氏は前回の知事時代のような“ワーキングプア知事として一から出直しています”というパフォーマンスもできないし、いまさら再度宮崎マンゴーと地鶏を売る対外パフォーマンスに全力投球することもできないだろう。そしてまだ記憶に新しい数年前に、宮崎県民の想いを振り切り、あなたを必要としていない東京都知事の仕事に色気を出して宮崎を離れた人である。ここで“私は宮崎県民です。これからも宮崎県民のために・・・”と言ったところでさすがに信じる人はいないだろう。
政治家は「出馬するとは言っていない」などと公示日直前までメディアにほそぼそとリークして世論の反応をテストしたり“直前発表のサプライズでモメンタムを票につなげる”ということをやりがちだが、そんな古典的なやり方にそのまんま乗せられることのないよう、十分注意したいものである。
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