古い話で恐縮だが、1943年『姿三四郎』という映画が封切られた。巨匠黒澤明の監督デビュー作だ。姿三四郎という柔道家が師匠矢野正五郎の薫陶を受けて成長するストーリーだ。この映画で黒澤明は、三四郎の成長を、ほんの数カットで鮮やかに描いてみせた。
道場で師匠に挨拶をするシーン、最初、名優藤田進が演じる三四郎はのっしのっしと強さを誇示するように入ってきて座った。次に三四郎は師匠の矢野に丁寧に一礼して座った。尊敬の念が表れている。最後のシーン、三四郎は少し笑みを浮かべ、ゆとりのある表情で師匠の前に立ち、座る直前に板の間に小さなゴミがあるのを見つけ、それを拾ってから座ったのだ。
姿三四郎は、最初は相手を威嚇するこけおどしの勇者だったが、師匠に尊敬を抱くようになり、最後にはどんなときにも冷静沈着で、小さなことにも目が行き届く達人の域に達した。黒澤はそれを「道場で座る」という小さなシーンで鮮やかに描いた。「ゴミを拾う」という動作は、三四郎の進境を象徴的に表していたのだ。
内面の心の動きを、外見で象徴的に表現するのは黒澤映画の真骨頂だ。デビュー作品から黒澤明はその片鱗を見せていた。この映画の大ヒットで、黒澤明は大監督への道を歩み始めるのだ。
「ゴミを拾った」大谷から感じる成長
筆者は大谷翔平がメジャーの大舞台で、さりげなくゴミを拾ったその行動に、姿三四郎に通じる「心の成長」を感じ取った。
MLBの放送ではベンチがよく映る。選手の足元には食べた後のヒマワリの種のカスや、スポーツドリンクの紙コップなどが散乱している。そこに選手は平気でつばを吐いている。いくら清掃専門のスタッフがいるといっても数十億円もの年俸を得ているスターたちの居場所としては、ふさわしくない。
大谷はそんなベンチに座りながら、グラウンドの小さなゴミに目が行き届く感性を保っているのだ。この感性に筆者は心を動かされた。
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