「技術さえあれば誰でもいい時代」は終わった 名古屋のスゴ腕ヘアメイク

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式場で働くのは大変!

――実家に住み、習い事の費用は親が出してくれ、稼いだおカネはすべて自分のお小遣い、という愛知県人にありがちなお気楽生活ですよね。

そのとおりです。のりの問屋を経営していた父親は、「お前はいったい何がやりたいんだ」とあきれていました。今、考えると、実家を継ぐこともすてきな選択肢だったと思います。でも、当時は「のり屋なんて嫌だ!」と言っていましたから。結局、私も妹も継がず、別の人に経営を任せています。

スクールで出会った先生の付き人になって、受付の仕事を辞めて式場で働くようになってからは、大変な生活でした。とにかく怖い世界なのです。結婚式場は年上のお客さんもみえるので、若いスタッフがフニャフニャしていたらすぐに怒られます。「ピシッとしろ!」「聞こえんあいさつはするな!」と毎日しかられました。花嫁さんの介添えもヘアメイクが兼ねる式場だったので、トイレに行く暇もありません。

もちろん、ヘアメイクなどはさせてもらえません。アクセサリーを付けてあげて、ドレスにアイロンをかけて、掃除をして……。花嫁さんよりも早く式場に行って準備して、最後はお見送りをして片づけして帰ります。丸1日働いて、日給は3000円でした。

仕事内容やおカネに不満はなくて、経験させてもらえるだけでありがたかった。でも、人間関係がとにかく怖くてつらくて、「こんなのは私、できないかも」と思ったのです。その頃、スクール時代に知り合った着付けの先生に、「私が入っている写真館に来ない? 若い子がいないから助かる」と誘ってもらいました。私、年上の方にかわいがられることが割と多いんです。

事務所内の打ち合わせ用スペースにて。オリジナルのアクセサリーや靴も貸し出し可能

――写真館での仕事はいかがでしたか。

ノホホンとした職場で、みんないい人たちでしたね。七五三や成人式に加えて、ブライダルの記念撮影もあったので、初めてお嫁さんのヘアメイクをさせてもらいました。経験のない私なんかが担当していいのだろうかと、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのを覚えています。でも、撮影後に「ありがとう。中島さんにやってもらってよかったわ」と言ってもらえました。快感ですよね。本当にうれしかった。

そのうちに記念撮影ではなくて、ブライダルの現場で働きたいという気持ちが湧いてきました。どうしようかと思っていたときに、その写真館にヘアメイクでバリバリやっている先生がやってくることになり、スカウトされたんです。「ここで本当にいいの? やる気があるならばうちに来ない?」と。写真館はすごく居心地がいい職場だったけれど、ここにいてもヘアメイクとして一人前になれない。お世話になった着付けの先生に相談したら、移ることは許してくれましたが、「あちらに行くならうちは辞めなさい」と、かけ持ちは禁じられました。泣いて泣いて迷った挙句、ヘアメイクの先生のところに行くことにしたんです。

――今度こそ理想的な職場に出会えた、というわけでもなさそうですね。

入ってみたら、すっごく厳しい先生だったのです。誘われたときは優しそうだったのに……。「あなたね、自分ができるヘアメイクだとでも思っているの?」といきなり言われましたよ。「資格がないと何もできないよ」とアドバイスされ、通信教育で3年間かけて美容師の資格を取りました。

その会社は式場への出入りをほかのヘアメイク会社と争っていました。付け毛やドレスのクリーニング代の売り上げがノルマとして課され、無理な営業もしていました。私はお客さんに喜んでもらうためにこの仕事を選んだので、髪が十分に長い花嫁さんにも付け毛を勧めたりするのが心苦しかったですね。

一緒に働いていた子と2人で独立したのが2003年。レストランウエディングがはやり始めた頃です。私はひとりで営業をする勇気がなくて、請求書の書き方ひとつわからなかったのですが、その子はすごいやり手でした。でも、すぐに方向性の違いが見えて来て、別れることになったのです。2005年のことでした。

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