私が半沢直樹もあまちゃんも、嫌いなワケ ブームは、本当に価値を生み出すのか

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一方、あまちゃんで、北三陸も観光の大ブーム。都会の人々であふれた北三陸を見ても、北三陸のよさはまったく感じられないし、そもそも、あまちゃんが都会を離れて北三陸で自分を変えるほどのものを得たのだから、それを共有し、共感することはまったくできなくなってしまった。1年前に行けばよかったのであって、今更行っても何もいいことはない。

私は、あまちゃんは開始早々大ファンになったが、人気が出てしまったので、一気に冷めた。今から行くなら、まんてんの屋久島だろう。

半沢直樹は、やや複雑だ。何が怖いかというと、視聴率が高くなりすぎて、マスの平均的な視聴者をターゲットに変えて、よりわかりやすく平凡なキャラクターで、典型的なストーリーに原作から変更されてしまうリスクがある。演出も、大げさになりかねない。

ブームがもたらす「価値の破壊」

これらは、ブームが価値のあるものを失わせるか、あるいは割高にするという現象を示している。人間が人気を作り、それに殺到することで、もともと魅力あるものの魅力を失わせる。これは付加価値の創造の逆で、価値の破壊である。だから、私のようなひねくれものは、価値の破壊を減らし、付加価値の増大を生み出すのだ。したがって、ブームというのは、ばかばかしいだけでなく、経済的価値を自ら失うばかばかしい行為なのだ。

ところが、昨今の経済と市場は様相が異なってきた。ブームが価値を生み出すのである。

人々は、軽井沢へ、混んでいるから出掛ける。ラーメン屋は並んでいるから行く。並ぶこと自体に意味がある。あまちゃんもみんなが見ているから見たい、半沢直樹は話題になっているから見る。本も、みんなが読んでいる本を買う。

もちろん、このような動きは昔からあった。AKB48に限らず、グループアイドルがいいのは、クラスメイトと誰がいちばんかわいいか議論することができるところであり、だからみんなで共有する必要がある。

しかし、昨今の「ブームが大好きな消費者たち」の行動はそれとは「何か違う」。
部分的には、これは情報化社会の弊害だ。現代は、情報が溢れすぎていて、選択肢が多すぎるため、かえって多様な行動が採りにくく、みんなが見ているものを見る、みんなが買っているものを買う、口コミやランキングを頼りにせざるを得ないのである。情報はありすぎると価値を失い、人々は自分で情報を得ることから逃避する。そういう意味で、情報が増えると情報の価値はなくなり、付加価値は低下するともいえるから、これも情報の発達が経済の発展を妨げるといえるかもしれない。

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