(第17回)阿久悠が綴る昭和への「遺言」

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 しかし、この「細々」を太い一本の線にすることは、誰にでもできることではない。コンペティション(競作)という方法に問題があったとすれば、この「細々」をメジャーな歌手に丸投げしてしまったことだろう。

 「昭和最後の秋のことというのは、ずいぶん抽象的な云い方で、年表的厳密さで正しいかと問われても困るが、たしかにあったのではなかろうか。十一年前のことである。たった十一年。くり返すが、まだ取りに戻れる。取って戻って来て、空虚に欠けた部分に嵌め込みたいものが、いくつもある気がするのである。そしたら、歌謡曲が元気になる。歌謡曲が元気になるということは、人間に魅力と価値を感じることである」(同前)

 阿久悠にしては、ややウエットな呟きである。
 もはやここには、市場化可能性を追究する、かつてのギラギラした眼差しは感じられない。その「伝達によるアイデンティティの構築」を不可能にしたのが、バブル期以降の日本だったことを思えば、なおさら右の発言は感傷的に聞こえてしまう。

●アイデンティティをなし崩しにする「平成」という時代

 いずれにせよ、平成の時代になってからの11年間というのは、昭和の「日本人」というアイデンティティを、なし崩しにするに十分の時間だったとも言えよう。
 
 もとより阿久悠が、シビアにこの時代を読んでいなかったわけではなかった。一方で彼は、「伝達のバトンリレーがどこかで跡切れた」こと、「バトンを持たない走者の時代」になっていることを十分に察知していたのだ。

 だからこそ彼は、早急にこの"11年の空白"を埋める、精神の伝達のリレーランナーを真剣に探し求めていた。そしてそれが、最終的に不可能だと知ったとき、昭和歌謡史上の最後の作詞家・阿久悠は、作曲家も歌手も当てにしない『書き下ろし歌謡曲』百編を、一挙に完成させるという"無謀な企て"にうって出たのだ。

 それは、歌謡詞の市場化可能性に異能を発揮した稀代の作詞家がはじめて行った、歌の「市場」を当てにしない、市場原理を無視した、ドン・キホーテ的なパフォーマンスだった。

 悪い時代なのだろうきっと。天才的作詞家の"昭和への想い"が、そのような形でしか伝達できなかったということは。 阿久悠はここで、商品化された言葉に生きる「作詞家」であることを放棄して、純粋に一人の「詩人」として言葉を扱うという、逆説を演じはじめていたのだ。
高澤秀次(たかざわ・しゅうじ)
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
門弟3人、カラオケ持ち歌300曲が自慢のアンチ・ヒップホップ派の歌謡曲ファン。
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