恐るべき大器晩成「北条早雲のすごい生き様」 50歳過ぎて無名の武人から戦国武将に急成長
奇策によって小田原城を制覇した北条早雲。戦国の世では、勝つために手段はなんでもありという前例をつくったといえます。この北条早雲をみならって、このあと次々と奇策が展開する時代が到来するのです。
ちょっと卑怯な手のようにも感じますが、ただ真正面からぶつかってムダに多くの血を流すのではなく、リスクを最小限に抑えた老猾な戦い方を選んだといえます。
自分を信じてひたすらすすめ
もちろん北条早雲は、ただ戦に強いだけではありません。ものすごい倹約家で「針を蔵に積む」とたたえられたほどですが、一方、いざというときは大切なものでも思い切って断舎離するという、経済感覚のすぐれた人でもありました。分国法の「早雲寺殿廿一箇条」では日常生活の細かな指針から、人生観、宗教観などが記されています。
「出仕のときはもちろん、家にいるときも必ず髪をととのえること」「朝は早く起き、戌の刻(19~21時)までに寝ること」といった日常生活の心得や、「歌道のない人は取り柄がない。歌を学ぶこと」「いつも書物を持ち歩き、ちょっとした空き時間に読書をすること」とよいことばかり。人心掌握術にも長けていて、農民への減税政策など配慮も忘れなかったので、多くの人から慕われた戦国大名でした。
その後、早雲の子孫が管領家の扇谷上杉家、山内上杉家の両上杉家の勢力を押さえていきました。そして永正16年、88歳で伊豆の韮山城に没したと伝えられています。
今よりもずっと人々の平均寿命が短かった戦国時代においても、このような人物がいたというのは、なんだか励まされる事実です。
現代では100年時代ともいわれています。40代、50代が近づいて、人生の目標を見失ってしまうようではいけません。第二の人生というよりは、人生すべてが第一の人生で継続していると考え、北条早雲をみならって、今からビッグな夢をスタートさせてみれば、新しい未来が開けるかもしれません。
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