韓国は世界屈指の「ブレイクダンス大国」だ 兵役前に自己表現をする機会にも
韓国と言って思い出すものと言えば、キムチにK-POPに最先端の電子機器に韓流ドラマ、化粧品……。だが過去15年間、韓国がブレイクダンスの分野で世界をリードしてきたことを知る人はあまり多くないかもしれない。
単なるまねではない独自のものを生み出す
ブレイクダンスはもともと、1970年代にニューヨーク・ブロンクスに住む黒人やプエルトリコ系の若者たちが始めたダンスだ(メディアが作った呼称だからとブレイクダンスという言葉を嫌う人もいる)。「トップロック(立った状態での踊り)」や「ダウンロック(低い体勢での動き)」、「パワームーブ(回転などのアクロバティックな技)」に「フリーザー(最後の決め)」という要素で構成され、ヒップホップやファンクの楽曲のドラム演奏などのサンプリングから作り出された「ブレイクビーツ」に乗せて踊られる。
ブレイクダンスのダンサーたち(B-boyもしくはB-girlと呼ばれる)は、ブラジルのカポエイラに始まり体操や米歌手のジェームス・ブラウン、武術などからさまざまな影響を受けてきた。その創意にあふれる動きは見る人を驚嘆させる。
1983年の映画『フラッシュダンス』でブレイクダンスを初めて見たという人は私だけではないはずだ。著名なブレイクダンスチームのロック・ステディー・クルーがジミー・キャスター・バンチの『イッツ・ジャスト・ビガン』に合わせて踊っているところに、ジェニファー・ビールス演じる主人公のアレックスと親友が偶然出くわすという場面だ。
長さにして74秒のこの場面が、世界的なブレイクダンスの流行に火をつけたのかもしれない。当時の私のような郊外暮らしの子供たちも段ボールを持ち歩いては回転技を練習したものだ。1984年の『ブレイクダンス』や『ビート・ストリート』、『ブレイクダンス2 ブーガルビートでT.K.O!』といった映画も、ブレイクダンスをメインストリームに押し上げるのに一役買ったと言えるだろう。
1980年代に韓国にブレイクダンスを持ち込んだのは駐留米軍の兵士たちだった。だがソウルにおけるブレイクダンス人気を爆発させた仕掛け人といえば、韓国系米国人のヒップホッププロモーターのジョン・ジェイ・チョンだ。