「店主の嶋崎さんと一度3〜4時間お話しさせていただいていたら、急に『2号ラーメン』のレシピを教えてくださったんです。ビックリしましたよ。これはもう作るしかないだろ!と」(飯田さん)
それからというもの、飯田氏は体と舌をとにかく「2号ラーメン」に染めようと、「69’N’ ROLL ONE」へ行くと必ず「2号ラーメン」を3杯注文。嶋崎さんのレシピをできるだけ再現できるように模索した。
こうしてオリジナルのラーメンが完成。2010年3月に、実家である「飯田商店」の倉庫があった場所に「らぁ麺屋 飯田商店」をオープンした。32歳のときだった。
当初は思ったようにお客は集まらなかった。開店後の1年間は鳴かず飛ばず。1日にお客が2人という日もあったほどだったが、ラーメンファンがだんだんとお店を訪れるようになり、ネットの口コミが広がる。その後は、ラーメン評論家も来店してくれるようになり、さらに人気を増した。今では、「飯田商店」のラーメンを食べるために湯河原を訪れる観光客も増えている。
年に4~5回訪れるというある常連客は、飯田商店に通う理由を「おいしさはもちろん、店主の人柄ですね。ラーメンにまじめすぎる飯田さんに会いに来るのが楽しみなんです」と語る。近隣の真鶴町(まなづるまち)に住み、週に2~3回通う別の常連客は「まさに地元の誇り。年下だが本当に尊敬できる人間です」と語っていた。
湯河原にこだわる理由は?
これだけ評価されているメニューをどう後世に残していくかは、飯田さんにとって今後の課題だ。湯河原にとどまらず、暖簾(のれん)分けでもっと広げてほしいというラーメンファンの願いもあるだろう。
飯田さんは東京に進出したり、お店を増やしたりということには興味がないという。湯河原にこだわる理由を聞いてみた。
「東京は住む場所ではないな、と。父親が遺してくれた土地への愛ということもありますし。『どこかで勝負するぞ』というより、お客さんに湯河原に来てほしいなという気持ちのほうが大きいですね。3万円、5万円の高級料理じゃなかなか食べに来られないけれど、ラーメンなら食べに来られる。800〜900円で人を感動させられる。ラーメンの魅力ですね」(飯田さん)
今、このラーメンは飯田氏にしか作れない。お弟子さんたちにはこれから伝えていくのか、後継者についてはどう考えているのか。飯田さんはまだ40歳と若いが、いずれはこの問題にも直面することになりそうだ。多店舗経営はなさそうだし、らしくない感じがする。とはいえ、一代一店ではあまりにもったいない。
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