「M-1グランプリ」がここまで別格を保つ理由 笑いの真剣勝負を演出する仕掛けの裏側

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そんな彼が審査員として若手芸人のネタを評価するというのは画期的なことだった。果たして誰にどんな点数をつけるのか、大会前から注目が集まっていた。2001年の第1回大会では、当時まだ無名だった「麒麟」を松本が高く評価した。

「僕は今まででいちばん良かったですね」

麒麟は合計得点では10組中5位という結果に終わったのだが、松本だけは彼らに自己最高点をつけていた。麒麟は「あの松本が認めた芸人」として一気に脚光を浴びるようになり、飛躍的に人気を伸ばしていった。その後も「M-1」の常連として毎回のように優勝争いに絡んでくるようになった。

審査員としての松本は、芸人の人生を左右するほどの影響力を持っていたのだ。彼の存在によって「M-1」の権威は揺るぎないものになった。

「人間ドキュメント」としての魅力も

また、「M-1」には「人間ドキュメント」としての魅力もあった。この大会では「結成10年以内(2015年大会以降は結成15年以内)」という参加資格が定められていた。若手漫才師たちは、決勝の舞台を夢見て、1年かけて必死にネタを磨き上げていく。一心不乱に漫才に打ち込む彼らの姿は、それだけで魅力的なものだった。

「M-1」では、それぞれの芸人がネタを披露する前に彼らの紹介VTRが流されていた。そのテイストは、格闘技番組における選手紹介VTRに近い。彼らがこの大会に懸ける意気込みを伝えて、真剣勝負の雰囲気を盛り上げる役目を果たしていた。

準決勝で敗退した芸人の中から、敗者復活戦を勝ち抜いた1組だけが決勝に復活できる「敗者復活」というシステムも画期的だった。2007年大会では、サンドウィッチマンが敗者復活からの劇的な優勝を果たして話題になった。それ以外にもここから数々のドラマが生まれている。

紳助は芸人の中でも無類の「感動好き」として知られる。彼の番組では、感動を押し付けてくるような演出が見られることがあり、それを苦手とする視聴者も一部には存在したのではないかと思う。

しかし、「M-1」が多くの人を熱狂させるビッグコンテンツに成長したのは、発案者である紳助が巧みに「笑いの真剣勝負」を行うための空間を演出することに成功したからだ。彼が芸能界を引退してからも「M-1」は存続して、今なお圧倒的な存在感を保っている。いわば、「M-1」とは、稀代のプロデューサーである紳助の置き土産なのだ。

「島田紳助」と「松本人志」という2人のカリスマ芸人の化学反応によって、空前絶後のお笑いコンテスト番組が誕生した。少なくとも松本が審査員席の一角に陣取っているうちは、「M-1」の権威が揺らぐことはないだろう。(敬称略)

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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