半世紀ぶり国産旅客機MRJ--三菱重工、航空機自立への最終切符
開発は最終段階を迎えているが、P&Wは20年の歳月と「数十億ドル」(P&W社)の開発費をかけてここまで来た。それだけの“難物”だったということだろう。MRJはGTFの最初の顧客(ローンチ・カスタマー)として、新しい機体と新しいエンジンという“二乗のリスク”を背負い込むことになる。
「GTFの技術的なリスクは克服可能。信頼性、リスクを総合評価して決心した。業界の見方? 慎重に時間をかけたのは事実だが、その見方はまったく違う」(宮川常務)。
MRJが意識したのは、ボンバルディアの新機体「Cシリーズ」だろう。ファンボローのエアショーでローンチが発表され、座席数はMRJより一回り大きい110~130席。ルフトハンザから60機を受注し、中国も開発費の一部として3億ドルの提供を約束している。
既存顧客からの“乗り換え”のみならず、Cシリーズは中国市場にも足場を築いた。もし、MRJがGTFを選ばず、CシリーズがGTFを選び、しかも、GTFが効能書きどおりの性能を発揮したら、Cシリーズの優位性は圧倒的になる。
逆に、MRJがGTFを選択すれば、対抗上、Cシリーズも必ずGTFを選ぶだろう(実際、GTFを選択)。両機の差は、機体の性能差のみとなる。が、圧倒的な劣位に回るより、こちらがマシ。MRJにとって選択の余地はなかったのである。
YS「チーム日本」の対極 一社責任とシステム発注
戸田・三菱航空機社長は「この市場は競合で埋め尽くされている」と言う。向こう20年間の市場規模は約5000機。うち2000機は、中国とロシアが内需として抱え込むだろう。MRJは残り3000機のうち1000機を獲得したい。最後発者が先輩のボンバルディア、エンブラエルと平等に市場を分け合おうとうのだから、ハードルは低くない。
ハードルを越えるために、MRJは「過去」に学び、「敵」に学ぶ。「過去」とは、YS−11の失敗だ。YSは「日航製」という半官半民の組織が差配し、民も7社がぶら下がる、二重の意味の寄り合い所帯。事業の主体的意思は不在だった。
三菱重工が「三菱」を冠した三菱航空機を設立したのは、「過去」への答えだ。商社や政策投資銀行にも出資を求めたが、株式の3分の2は三菱重工が握る。経済産業省も割り切った。1社が責任を持つMRJは、本来なら“私的”案件だが、開発費の3分の一を政府助成する。「ナショプロを成功させるために、力のある、やる気のあるところをプッシュするのが産業政策」(経産省)。
生産体制は「敵」から学んだ。YSは日本の航空機メーカーが総動員されたが、MRJはチームジャパンと決別する。複合材の主翼、尾翼は三菱重工が生産し、むろん、最終組み立ても担当するが、それ以外は主として、実績ある海外サプライヤーにシステムごと発注する。「システム発注」方式は、ボンバルディアが最初に導入し、787でボーイングも採用した方式である。
住友精密、ナブテスコも参加するが、MRJが主力パートナーとして選んだのは、操縦系がロックウェル、電源・空調系がハミルトン、油圧系がパーカー(いずれも米国)など。海外調達比率は6~7割となり、大半が日本製だったYSとは対照的な姿となる。
システム発注を選んだ理由は、コストである。エンブラエルの下請け経験のある川崎重工業が自ら、一(いち)抜けた。「世界のRJのコスト要求はとてつもない。その値段でやれと言われて、われわれができるか。割ける人手もない」(元山近思常務)。
1年前、内装品のジャムコに「MRJの内装を丸ごと担当してくれないか」と話が来た。「そこまではちょっと。ギャレー(厨房)、ラバトリー(化粧室)なら、と見積もりを出したが、話はそれっきり」(ジャムコ)。結局、ジャムコは動翼の開発・設計に参加するが、これも設計までの契約。生産の仕事が回ってくるかどうか、定かではない。