夢追う夫を本気にさせるために妻がしたこと

読み切り小説:ベーシック・インカム

家族が寝静まったあとのリビング・ルームで、僕は焼酎のお湯割りを傾けながら考えた。

ベーシック・インカムが導入されたとき、専業主婦である妻は、「家事も育児も結構たいへんだってことがついに評価されたのね」と喜んでいた。専業主婦のように、賃金をもらっていなくても社会に貢献する人の労働の対価がベーシック・インカムなのだと妻は考えたのだろう。

ベーシック・インカムは年金や生活保護などを廃止して導入されたのだから、当然に福祉の意味合いが強く、社会への貢献度合いとは無関係に支給されるものだ。とはいえ、家事や育児などで賃金を得ずとも社会に貢献している人たちへの社会からの報酬という側面もあろう。

僕のように、いまなにも生産しておらず、むしろ社会から持ち出しているような人間も、未来の社会貢献のための準備をしているから金銭を受け取っているということもできる。いわば社会からの投資であり、子どもに対するベーシック・インカムも同じ理屈で考えることもできるだろう。

なんのために税金が投入されているのか?

では妻の習い事はどうか。

料理やアロマテラピーなど、僕や子どもも恩恵を得られるものはまだしも、カービング? はたしてそれがなんの役に立つ。なんの役にも立たないことのために税金が投入されても、はたしていいのだろうか……

グラスが空になった。お湯を沸かすのが面倒なので焼酎をロックに切り替えてから、さらに考えようとした。

が、酔った頭では考えがまとまることもなく、いつの間にかに僕は眠りに落ちた。

翌朝、リビングのソファで目覚めた僕は、ぼんやりとした頭を小刻みに横に振り、「仕事を探そう」と、1人の部屋で声を出して言った。

やりたいとかやりたくないとか、そんなことを言ってはいられない。ともかくカネのために働くのだ。幸いにもベーシック・インカムが導入されて以来、汚いとか、きついとか、危険とか、そういう仕事をしようとする人が減ったので、選びさえしなければ職につくのは容易(たやす)かった。

とはいえ給与は安く、妻や子どもに余裕のある暮らしをさせるためには足りない。

ゆえに僕は小説を書き続けた。

なんとしても売れる本を書かねばならない。追い詰められているような気分で書いた。ここで負ければ命を落とす、それぐらいの気持ちだった。これほどまでに書くことに真剣になったことはいままでになかった。

そしてあるとき、僕は気づいた。書けるようになっているのだ。つい先日まではいくら考えても書けなかった。ところがいまは書くことが自然に湧いてくる。

書くべきことはそこかしこに転がっていた。通勤途上にも職場にも仕事帰りに立ち寄った酒場にも。それに夕食時。3つの習い事を掛け持つ妻がその日にあったことをあれこれ話すのだが、そこからヒントを得ることも少なくなかった。

僕はスランプを脱けた。

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