夢追う夫を本気にさせるために妻がしたこと

読み切り小説:ベーシック・インカム

会社に勤めていた頃に考えた題材をすべて書き終えたとき、状況ががらりと変わった。書くものを思いつかないのだ。丸1日、1人の書斎でキーボードを一度もたたかずに、ただひたすら考え続けているということが増えた。ようやく題材を思いついても、なかなか筋が決まらない。筋が決まっても、話が全然膨らまない。

最初はいっときのスランプだと思い、じきに書けるようになるだろうと軽く考えていた。しかし状況はいつまで経っても改善されなかった。

机に向かって考えていてもだめだと思い、いろいろな分野の本を読みあさったり、映画やテレビドラマをジャンルを問わず見たりした。ウェブで興味のある単語のリンクを一日じゅうたどってみたりもした。しかし、だめだ。

「習い事を始めようかなと思って」

そんなある日の朝の食卓で妻が言った。

「わたし、昼に時間があるから、習い事を始めようかなと思って」

「習い事? 何をやりたいの」

「料理」

「それ、いくらくらいかかるの」

気になったのは、まずはおカネのことである。

「ネットで検索してみたら、ふつうは1時間あたり数千エンっていうところみたい」

「きみの料理、じゅうぶんうまいよ。別に料理教室なんかに行かなくたって――」

「いいじゃない。あなたももっとおいしいものを食べられるようになるんだし」

家計が不安だが、毎週通ったとしても月に1万エンにもならず、ならば家計が赤字になるほどのことではあるまい。自分は会社勤めを辞めてやりたいことをやっているのだから、妻がやりたいということに対してすげなく否と言うことはできまい。

「まあ、いいんじゃない」と、僕は無表情を装って、言った。

その1カ月後、昼食の食卓で妻が言った。

「もう1つ習い事をしたいんだけど、どうかな」

「え、また? な、なにを習いたいの」

「アロマテラピー」

「アロマテラピー? あの油のにおいをかいだりするやつ?」

「まあ、大雑把に言えばそうだけど、ストレス解消とかにいいのよ。あなたもストレス多そうだし、あなたのストレス解消のためにもなるわよ」

次ページその優しさを無下にしてはいけない、が…
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