天才作曲家「コルンゴルト」を知っていますか 「20世紀のモーツァルト」と評されていたが…

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モーツァルトの神童ぶりについてはさまざまな形で紹介されている。同時代の大作曲家ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)は、モーツァルトの父親レオポルドに「誠実な人間として神かけて申し上げますが、貴方のご子息は私の知るかぎり最も偉大な作曲家です。よい趣味と極めて優れた作曲技術をお持ちです」と伝え、ミラノで少年モーツァルトを体験した老大家ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699~1783)は「この少年はいつか私たち全員を忘れさせてしまうだろう」という予言めいた言葉を残したという。

では、コルンゴルトの場合はどうだろうか。11歳のときに作曲したバレエ=パントマイム「雪だるま」を聴いた当時の音楽家たちが作曲者の父親に伝えた言葉は、まるでモーツァルトについて語るような驚きに満ちている。

ドイツを代表する作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)は「息子さんの驚くべき作品を拝見して言葉もありません。これが11歳の子供が手掛けた作品だと知って頭をよぎるのは戦慄と恐怖。まさに驚異的です」と語っている。さらにベルリン・フィルの常任指揮者アルトゥール・ニキシュ(1855~1922)は「11歳の少年が書いたということではなく、純粋にこの作品に興奮しています。神がこの選ばれた才能に対して健康を与えますように」という言葉を残している。

10歳で作曲したカンタータ「水の精、黄金」を聴いた作曲家で指揮者のグスタフ・マーラー(1860~1911)は「天才だ!」と叫び、マーラーの推薦によってコルンゴルトの指導にあたった作曲家アレクサンダー・ツェムリンスキー(1871~1942)はその脅威の才能に接して「どっちが教える立場なのかわからなくなる」と告白しているのだから恐ろしい。

父親の手厚い庇護の下、その後も順調にキャリアを重ねたコルンゴルトは、1920年にオペラ『死の都』を作曲。ハンブルクとケルンの2都市で同時に初演されたこのオペラは大ヒットを記録し、23歳にしてオペラ作曲家としての揺るぎない地位を確立。大作曲家への道を着実に歩み始めていた。1932年の新ウィーン新聞のアンケートでは、アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)と並んで存命する最高の作曲家に選ばれていることからもその人気と評価の高さがうかがえる。

圧倒的な才能がハリウッド映画界を席巻

順風満帆だったコルンゴルトの人生に大きな変化をもたらしたのは2つの世界大戦だった。ユダヤの血を引くコルンゴルトにとって深刻だったのはヨーロッパに暗い影を落とすナチスドイツの台頭とそれに伴うユダヤ人迫害だ。

身の危険を感じたコルンゴルトは、演出家マックス・ラインハルト(1873~1943)からの誘いを受けて映画音楽制作のためにハリウッドへの移住を決意。モーツァルトにも比肩される才能が、ウィーンを離れて映画の都へと舞い降りたのだ。

ハリウッドで映画の世界へと身を投じたコルンゴルトはここでも才能を発揮。純音楽の作曲からフィルムに映された映像に音楽を付ける作曲技法への順応ぶりは語りぐさだ。その理由としてあげられるのが、映像と音楽を結び付ける絶妙な時間感覚だといわれている。

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