「織田徳川vs武田」長篠の戦い、通説の9割は嘘 「騎馬隊も3段撃ちも…」最新の日本史を紹介
フィルムの中で輝き続ける「武田騎馬隊」の勇姿
日本映画の巨匠、黒澤明による1980年の公開作品『影武者』。そのクライマックスで描かれたシーンが、天正3(1575)年に行われた「長篠の戦い」です。
果てしない荒野を土煙とともに敵陣へ疾走する武田騎馬隊の荘厳な姿は、これぞ黒澤映画の真骨頂といえるでしょう。現代ではしばしば用いられるCG技術に頼らず、膨大な数のエキストラを動員して構成された迫力の実写映像は、まさに圧巻といえます。
こうした映像作品も含め、私たちが「長篠の戦い」と聞いてまず思い浮かぶのは、「織田信長が3000挺の鉄砲を使った『3段撃ちの新戦法』を発明し、『戦国最強の武田騎馬隊』を打ち破った」というエピソードでしょう。
かつては学校の授業でも「長篠の戦い」は、武田信玄の時代に全盛を誇った「騎馬隊」という旧式の戦法が、鉄砲を中心とした「新たな戦法」に敗れた歴史的事件で、中世から近世への転換点であると位置づけていました。
ただ、こうした認識は現在では変わっており、「長篠の戦い」へのさまざまな検証から、これまで史実とされてきた「織田信長の3段撃ち戦法」や「武田騎馬隊」も含め、「実際の戦いの様相」はかなり異なるものだった可能性が指摘されています。
それどころか「最新の日本史」では、従来、広く一般に信じられてきたことのほとんどが、実は史実とは言い難いことがわかってきています。
今回は、こうした最新の研究動向から「長篠の戦い」の実像について解説します。
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