ゲバラが死んだ村の人々が語る革命家の最期 スープを運んだ少女が見たものは…
ボリビアの元大統領で、歴史家のカルロス・メサ・ヒスベルトは当時13歳だった。メサは「ゲバラはよく考えていなかった。失敗すべくして失敗した」と言う。
ゲバラに最後にスープを与えた商店主のロザレスは、ゲバラが殺される前のある日のこと、ゲバラのゲリラの1人であるロベルト・ペレド、通称「ココ」が店に入ってきたので驚いた。ココは「電話を使わせてほしい」と言った。
ゲリラの評判はよくなかったので、その地域の誰も、そのような訪問を望んでいなかった。町の男たちは戦闘員としてゲリラに連れていかれるのを恐れて、すでに山中へ逃げていた。
「ゲリラは男たちを襲い、その妻たちをレイプし、物を奪うと言われていた。だから、誰もがゲリラには来てほしくなかった」とロザレスは言う。
ロザレスによると、町長が「ゲリラが町に来た」と当局に知らせたという。このような情報などをもとに、軍はゲバラとそのゲリラに迫っていった。
追っ手の中にいたのが、ゲイリー・プラドだ。若い将校で、夏じゅう山の中でゲバラを追っていた。
現在78歳で、大将を最後に引退したプラドは、ボリビアのサンタクルスにある自宅の書斎で、軍は当初、ジャングルでゲリラと戦う準備はできていなかったと認める。しかし、すぐに米国による訓練と、CIA(米中央情報局)の工作員の到着という支援が得られた。CIAはゲバラの死を望んでいたのだ。
10月8日、ボリビアの兵士とゲリラグループの間で銃撃戦が行われた。
しかしこの銃撃戦は、それまでの戦いとは違う形で終わったとプラドは言う。ゲリラの1人が降伏し、こう叫んだのだ。「私はチェ・ゲバラだ。死んでいるよりも生きているほうが、君たちにとって価値があるだろう」。
「信じ難いほど美しかった」
現在69歳のフリア・コルテスはその日、教鞭を執っていたラ・イゲラの小学校に向かう途中で、銃撃戦の音を聞いた。
軍に捕らえられたゲバラが連れていかれたのが、その小学校だった。10月9日にコルテスが小学校に入っていくと、ゲバラはほとんど口がきけなかった。彼は革命について、少しつぶやいたとコルテスは言う。その革命で、ゲバラは負けつつあった。
「そのときのゲバラは醜かったと言われるけれど、私は彼が信じ難いほど美しかったと思う」とコルテスは言う。
彼女が家に着くとすぐに、銃声が聞こえた。ゲバラが殺されたのだ。
そのあと、血が流された教室をきれいにしようと、コルテスが小学校に向かっていったのをロザレスは覚えている。
「その後は、あの小学校では授業は行われていない」とロザレスは言う。「子供たちが、行きたがらなかったから」。学校はいまでは小さな記念館になっている。
(執筆:Nicholas Casey、翻訳:東方雅美)
© 2017 New York Times News Service
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