ゲバラが死んだ村の人々が語る革命家の最期 スープを運んだ少女が見たものは…

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ボリビアのラ・イゲラにあるチェ・ゲバラ像(写真:Nada Shira Cohen/The New York Times)

イルマ・ロザレスは、小さな店をもう何十年も切り盛りしている。ある日の朝、彼女は写真がたくさん入った箱を抱えて座り、50年前に地元の学校で殺された見知らぬ人物のことを思い出していた。

その人の髪は長く伸びて脂ぎっていた。服はとても汚れていて、機械工が着ていた服だったのではないかと思えた。ロザレスは彼にスープを運んでいったが、彼は何も言わなかった。それから間もなくして銃声が鳴り響き、その人物、チェ・ゲバラは死亡した。

いまも革命のシンボル

10月9日で、ゲバラが処刑されてからちょうど半世紀となった。ゲバラはアルゼンチン生まれの医師で本名はエルネスト・ゲバラといい、キューバからコンゴまでゲリラ兵を率いて戦った。ピッグス湾事件(在米キューバ人によるキューバへの侵攻で、米国が支援していた)では米国を阻止し、国連で演説を行って、超大国から無視されていた国々から成る新たな世界秩序を訴えた。

その死をもって彼は神話となった。あご髭を生やし星の付いたベレー帽をかぶったゲバラの肖像画は、世界中で、世代を超えて、あこがれめいた革命のシンボルとなり、活動家のジャングルの拠点や、大学の寮の部屋など至る所で見られるようになった。

しかし、ゲバラ最期の時期にボリビアのラ・イゲラに暮らしていた村人たちが語ったのは、あまり神話的とは言えない、短く血なまぐさいエピソードだった。このとき、山奥の忘れ去られたようなこの村が、一時的に冷戦の戦場となったのだ。

中南米でゲバラの死が回顧されている中、彼からインスピレーションを得た左翼的な活動は困難な時を迎えている。

中南米に現存する最大のゲリラ組織であるコロンビア革命軍は、今年ジャングルを出て武装解除した。同軍との内戦では誰も勝利することなく、コロンビアでは22万人以上が犠牲となった。

また、ベネズエラの故ウゴ・チャベス大統領の社会主義的な政策では、教育や医療の面で進展が見られたものの、同国は食料不足と混乱と独裁主義に陥った。キューバは長年にわたって、ゲバラが掲げた革命の旗の下で誇り高く永らえてきた。しかし、米国との緊張緩和がトランプ政権の下で崩れそうになっており、行く末が不透明になっている。

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