森本さんが社会人としての第一歩をリクルート人材センターで踏み出したのには、2つ理由がある。
1つ目の理由は、経営をめぐって「人」の問題で苦労している父親の姿を見てきたからだった。
「私が小学生のときに、父が脱サラしました。中小企業の経営を始め、『人、物、カネ』に苦労していましたが、なかでも『人』のことで骨を折っていました。なかなかよい人が採用できないとか、採用できたと思ったらすぐに辞めちゃうとか……。そんな父の背中を見ていたので、自分がいざ就職するとなったとき、『人』に関することで、父が営んでいたような中小企業を応援したいと思いました」
2つ目の理由は、日本でも「転職」が当たり前になる日が訪れることを、学生時代から予期していたからだ。
「大学3年生のとき、図書館で勉強していてたまたま1冊の本が目につきました。当時(1990年代初頭)日本はまだ終身雇用制が主流で、新卒で会社に入れば、給料もポストも右肩上がりのまま、定年まで勤め上げられるイメージがありました。でも、その本には、すでにアメリカでは自分のバリューを高めて、転職するのが当たり前で、ヘッドハンターや転職エージェントという職業があることが書いてありました。だから、いつか日本にもそんな風景が当たり前になる日がくるんじゃないかなと思って、行き着いたのがリクルートのグループ会社でした」
こう考えた森本さんは、まだ日本ではマイノリティで、ほとんど知られていなかった転職エージェントという職業を選んだ。リクルート親会社と子会社の両方の内定をもらいながらも、周囲の反対もよそにあえて子会社に決めたのはそんな背景からだ。
理想とのギャップに悩まされた日々
今世間を見渡せば、森本さんの先読みが正しかったことは明らかだ。彼女が入社した1993年当時、全国にわずかしか存在しなかった転職エージェントは、現在2万社を超えようという勢いだ。
しかし、当時まだマイナーな転職エージェントとして働き始めた森本さんは、頭の中で描いていた理想とは裏腹に、入社早々に厳しい洗礼を受けることになる。
「私が入社した頃、オフィスは(今ある銀座のビルと違って)雑居ビルにありました。それで、先輩に『リクルート本社はきれいなビルなのに、うちはなんでこんなに汚いビルなんですか?』と聞いたんです。そうしたら、先輩から『そんなの、当たり前じゃないか。転職っていうのは、親兄弟はもちろんのこと、先輩、後輩、友人、知人、知ってるヒトに見つからないようにこっそりやるもんなんだから。目立つきれいなビルに入ってたらダメだろ』と言われて、『そうか、転職は周りをキョロキョロしながらやるんだ』と思ってショックを受けました(笑)」
「エージェント」と言っても誰もわかってくれないし、転職はひっそりと人目を忍んでやるものだと教えられ、森本さんはその仕事に携わっている自分に存在価値があるのか、自信を失いかけたこともあった。そんな彼女に、追い打ちをかけるような出来事が起きる。
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