インスタ映えだけじゃない現代アートの役割 日本とドイツで芸術イベントはこんなに違う
このように、ドイツにおける芸術祭は都市という公共空間で開催され、大人から子供まで参加できる間口の広さを持ちながら、社会課題を喚起し議論を生む役割を担っている。
そしてアーティストは社会に対して「ツッコミ」を入れるジャーナリストのような一面を持つ。ジャーナリストは記事を通して突っ込むところ、彼らは作品を通して行うというわけだ。加えて各地方都市には、文化をテーマにしている地方議員や専門知識を持った行政マン、民間の活動家が多く存在し、社会と芸術の相互関係について広く了解がある。冒頭のカッセルやミュンスターもたかだか人口20万~30万人程度の都市だが、そんなうえで芸術祭が開催されているわけだ。
一方、日本の芸術祭は概して政治・社会的メッセージが強くはない。たとえば冒頭の瀬戸内国際芸術祭では、地元の歴史や風景に即した作品などが多いと聞く。なるほど同芸術祭は地域の活性化や再生を促す役割を果たしているのだろう。しかし、政治・社会的メッセージを持った作品は影を潜め、市民による議論を促す役割を担っているとは言いがたい。
日本政府が芸術に期待すること
日本政府の文化芸術に対する姿勢については、文化庁の「文化芸術の振興に関する基本的な方針」で示されており、その中で「文化芸術立国」が掲げられている。
その成果指標は「日本の誇りとして文化芸術を挙げる国民の割合」や「地域の文化的環境に対して満足する国民の割合」「寄付活動を行う国民の割合」「鑑賞活動をする国民の割合」「文化芸術活動をする国民の割合」「訪日外国人旅行者数」となっており、短期的かつ、わかりやすい成果を求める企業の営業会議かと思わせる表現だ。
この違いは、前提とする社会構造や歴史、国民性などが異なることによる。ただ、社会的課題について他者と自由に意見を交換するきっかけが身近にたくさんあれば、新たな発想は生まれやすくなる。こういう了解は日本でもできつつあり、芸術祭は議論しやすい雰囲気を作る。
もちろん、ほかにも集客といった派手な効果もたくさんあるが、むしろ地域社会のダイナミズムを静かに促す。ここに最大の価値があるのだろう。
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