ニッポンの「展望台」、知られざる歴史の全貌 凌雲閣からスカイツリーまでを綴る蘊蓄100

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21. そして1912年、大阪・天王寺の第5回内国勧業博覧会跡地にオープンしたのが展望塔「通天閣(初代)」だ

22. 大阪商業会議所の会頭を務めていた土居通夫が構想し、遊園地「新世界ルナパーク」に隣接して建築された

23. 初代通天閣はパリのエッフェル塔を意識し、凱旋門の上にエッフェル塔上部を乗せたようなデザインだった

24. その高さは91mというふれこみだったが実際には75mしかなく、それでも当時〈東洋一〉を謳っていた

25. 設計は建築家・設楽貞雄が担当し建設費用は約9万7000円。展望塔の入場料は10銭だったといわれている

26. しかし1943年1月に直下の映画館の火災で延焼し、塔の足元部分が強度不足となり翌月解体されてしまう

27. その後、地元有志たちの熱心な活動によって1956年に新しい「通天閣(二代目)」が完成する

現在も人気のランドマーク

2016年(平成28年)10月28日に、二代目通天閣は開業60周年を迎えた(撮影:今井康一)

28. この展望塔は現在も大阪のランドマークとして人気を集めており、避雷針を含めた高さは108mある

29. 設計者は名古屋テレビ塔や東京タワーなども手掛け、〈塔博士〉と呼ばれた建築構造技術者・内藤多仲である

30. 通天閣5階にある展望台には足の裏をなでると幸運が訪れるといわれる「ビリケン像」が安置されている

31. ビリケン像は1912年頃に世界的に流行していたもので、かつては新世界ルナパーク内のビリケン堂にあった

32. しかし1923年にルナパークが閉園し初代ビリケン像は行方不明となり79年通天閣内の改装を機に復元した

33. 現在、通天閣の展望台に安置されているビリケン像は2012年5 月に新たに設置されたもので三代目にあたる

34. 二代目通天閣の設計者・内藤多仲が1950~60年代に手掛けた6 つの塔を総称し「タワー六兄弟」と呼ぶ

35. 〈兄弟〉であることから各タワーは竣工順に1954年竣工の「名古屋テレビ塔」を長男、次男「通天閣(二代目)」

36. 三男が大分「別府タワー」、四男「さっぽろテレビ塔」、五男「東京タワー」、六男「博多ポートタワー」となる

37. 戦後~高度経済成長期に日本各地に建てられたものでいずれも各都市の中心部にあり展望台をもっている

38. タワー六兄弟のなかでもっとも高さを誇るのが、1958年12月に竣工した約333mの「東京タワー」である

39. その正式名称は「日本電波塔」で、郵政省の電波監理局長・浜田成徳を中心に建設プロジェクトが進められた

40. 浜田はエッフェル塔を超える世界最大の塔を作り、展望台で集客すれば10年で建設費の元がとれると算段

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