先送りに隠された合理性、「領土問題棚上げ」の意味
関係国がいずれも自国の領土を主張して譲らない領土問題では、どんなにうまく交渉がまとまったところで、自国領であったはずの地域を(少なくとも部分的には)失う国が出てくる。
仮に、「二国間で係争地域を半分に分けて片方ずつ領有する」という形で交渉がまとまったとしても、それは両国ともに「自国の立場から見て領土を半分失う」ことを意味する点に注意が必要だ。
お互いの見解が食い違っていれば、ウィン-ウィンの結果を導くのが不可能なこともある。そうした状況では、交渉を通じてマイナスの結果を確定してしまうのでなく、あえて問題を解決しないことへの合意が正解かもしれないのだ。
領土問題を先送りにする、いわゆる「棚上げ」論は、先送りによって生じるほかのデメリットが大きくなければ、理にかなった考え方といえるだろう。
もう一つ、トラブルを解決する際に、一方にとってはマイナス、他方にとってはプラスの結果が、必然的に生じる状況についても考えておきたい。
その具体的なストーリーとして、勝ち負けがはっきりと決まる、戦争をイメージしてほしい。
戦局がどちらかに傾き勝敗がほぼ決まった後でも、勝っている国と負けている国では、実は終戦のタイミングに関する利害が真っ向から対立する。ここでは、太平洋戦争末期の日米両国の立場で考えてみよう。
日本、特に終戦の決定権限を実質的に握っていた軍部にとって、敗戦は、自らの権力の喪失や、戦勝国からの処罰の恐怖という、大きなマイナスを意味する。
ほとんど確実に、「いずれ負ける」ことがわかっているにしても、できるかぎり「その日」は先に延ばしたい。一方で、勝利というプラスの結果が目前にあるアメリカのほうは、できるだけ早く「その日」を迎えたい。実際の終戦のタイミングは、単に軍事力の差だけによって決まるのではなく、こうした相反する思惑にも左右されるのだ。
実際に、日本は熾烈極まる攻撃にもなかなか降伏せず、犠牲者は民間人も含め増え続けた、というのはご存じのとおりだ。負けつつある側の、「負けを認めたくない」というインセンティブによって、現実的な勝敗がほぼ決した後にまで、多数の兵士や民間人が犠牲になる。この悲劇というほかない事態を、防ぐ仕組みは考えられないだろうか。
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