対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ 86年前、なぜ日本は「暴走」したのか

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当時の日本人は、中国人はわれわれよりも劣っている、劣っている彼らがわれわれに反抗するのは許せないという意識があった。事実、戦前の新聞は満州事変、日中戦争と事態が泥沼化するに従い、紙面に「膺懲(ようちょう)」の文字が躍った。「膺懲」とは実力行使で懲らしめるという意味である。「暴戻なる支那を膺懲すべし」「蔣政権を膺懲」という具合だ。

今日風に言えば、「中国はけしからんから、懲らしめてやるべきだ」ということである。こうした論調は、今日でも一部のメディアに見られる傾向ではないだろうか。

拙著『戦争の大問題』の取材でお会いした、元海軍特攻隊員で立命館大学名誉教授の岩井忠熊氏は、「94歳になって、こういう日本の姿を見るとは嘆かわしい。現代の日本社会の様子は戦前の日本に似ている」と述べられ、自国賛美の歴史修正主義的風潮に警鐘を鳴らしている。戦争体験者で、いまの日本社会が戦前に似ていると言う人は多い。

ファクトよりフェイクを喜ぶ日本人

当時の新聞は満州事変を快挙と報じた。独断で軍を満州に進めた朝鮮派遣軍司令官の林銑十郎(1876~1943年)の行動は、統帥権の干犯であったにもかかわらず新聞は「越境将軍」ともてはやした。そのため軍の中央も処分をためらい、林はその後、総理大臣にまで上り詰める。

当時の新聞は、満州は「日本の生命線」であり、手放すことのできない重要な権益であると喧伝し、満州開拓移民を募り続けた。しかし、そのようにして資金と人を注ぎ込んだ満州の実態はどうであったのか。

「小日本主義」を唱えた石橋湛山(1884~1973年)は、「日本の生命線」の持つ経済的な矛盾を次のように指摘している。

「貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮、台湾、関東州を合わせたよりも、我に対して、一層大なる経済的利益関係を有し、<中略>米国こそ、インドこそ、英国こそ、我が経済的自立に欠くべからざる国と言わねばならない」

当時の朝鮮、台湾、関東州(満州)との貿易額は3地域を合わせて9億円弱である。湛山によれば同年のアメリカとの貿易額は14億3800万円、インドは5億8700万円、イギリスは3億3000万円だったという(金額はいずれも当時の金額)。

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