「世界のホンダ」が復活するのは容易ではない 失われた革新力を取り戻す厳しい挑戦
「技術への投資を削減してもホンダの業績は順調だったとみなすことはできる。だが、技術分野の一部で同社はもはやリーダーとは言えなくなっている。それを無視するのは困難だ」とチャオ氏は言う。
本田の「変調」はEV戦略でも起きた。大手メーカー製としては先駆けとなるニッケル水素電池搭載の「EV PLUS」を97年に発表したものの、競合他社がこれに追随して技術投資を加速させる一方で、ホンダは後退を始める。
幹部や技術者らによると、福井氏は、同社があまりに多くの研究分野に関与し過ぎていると感じていたという。その結果、同社はEV関連の研究活動を縮小し、水素自動車(FCV)に注力。2000年代後半にEVに逆戻りした際には、すでに他社に比べ数年を無駄に費やしていた。
福井氏を知る関係者によると、同氏はFCV技術に精通していれば、EV市場が拡大しても、モーターや制御の技術については対応でき、バッテリーに関しては他社からの調達でいいと考えていた。
その考えに一面の正しさはあったものの、EV車は充電のために電気インフラにプラグインすると、情報通信ネットワークにつながる媒体にもなる。福井体制下のホンダは、そうしたEVの特性を軽視した結果、電気自動車技術で出遅れてしまった、と関係者は話している。
ロイターはこれらの点について福井、伊東両氏にコメントを書面で求めたが、返答は得られていない。
「EV PLUS」に遅れること16年。ホンダは2013年にようやく競争力のある 「フィットEV」を発表し、米テスラなどの先行メーカーを追いかけている。来年には中国で現地市場向けのEVを発売する予定だ。
外国人従業員の可能性を見過ごしてきた
ホンダ最大の市場である米国のホンダR&Dアメリカズ(HRA)の元社長、エリック・バークマン氏は、ホンダが長期にわたって外国人従業員の可能性を見過ごしており、このことがホンダの損失になっていると話す。
ホンダは最近まで経営陣、取締役会、執行役員が全て日本人の男性だった。同社が初めて外国人(日系ブラジル人)と女性を取締役に採用したのは、たった3年前だ。
2013年秋、バークマン氏は栃木県茂木町で開催された会合で、ホンダの技術者や研究者に向けて講演し、ホンダにとって全てのエンジニアの知性を活用する時が来たと訴えた。