「世界のホンダ」が復活するのは容易ではない 失われた革新力を取り戻す厳しい挑戦
何よりも彼らが問題視したのは、東京本社の経営幹部たちが研究開発部門に過度の介入を続けていた点だった。イノベーションよりも株主価値が優先されるようになり、海外の有能な人材を活用することにも消極的になった。販売台数や利益の最大化が重視され、競合するトヨタ自動車<7203.T>と同じような製品ラインをそろえることに経営の主眼が置かれた。
「相手(トヨタ)を見過ぎて、だんだん同質化してしまった。そのアンチテーゼであることがホンダの存在価値だったのに、それを忘れ始めてしまったことが今の状況を招いた原因だ」と、本田技術研究所の松本宜之社長は話す。
「ホンダに期待されていたのは、他の会社のような車やバイクではなく、独自性を求めるお客さんの喜びに応えるよう、徹底的に掘り込んだ製品だった」。
犠牲になったシビック
ホンダの売上高は2000年以降大きく伸びた。しかし、J.D.パワーの初期品質調査では、ホンダ車は2000年の7位から2017年には20位に低下した。株主が求める業績拡大は進んだが、その一方でブランド力は目に見えて落ち込んでいる。
インタビューした取締役や技術者らによると、2003―09年に社長を務めた福井威夫氏は、技術部門の予算管理は部門の責任者らに任せるという、それまでの慣例を実質的に廃止し、プロジェクトごとの細かいコスト管理を徹底した。
福井氏の後任となった伊東孝紳氏(現・ホンダ取締役相談役)は、設計段階の管理をさらに強化し、本田技術研の複数の上級ポストをホンダ東京本社に移した。研究開発現場に対する本社の介入を強化することが狙いだった。
人気乗用車シビックはこういった変更の犠牲になったと、2007年からのデザイン変更に関わったエンジニアは言う。ずば抜けた技術性能と信頼性がありながら価格は手頃という高い評判を得ていたシビックは、ホンダのベストセラー車のひとつだった。
しかし、新型シビックには旧モデルから多くの部品やシステムが転用された。伊東氏が社長就任の前に担当していたグローバル自動車事業部門と技術部門がコスト低減を図ったためだ。
複数のホンダ関係者によると、新型シビックは08年2月までに第1段階の設計が終わり、同4月には1回目の詳細設計が完了した。ガソリンや鉄鋼などの価格上昇で生産コストは1台当たり1200―1400ドル膨らんでいたため、燃費を改善するための設計変更が行われた。
08年7月上旬、カリフォルニア州トーランスの北米本社で開かれた会議で、新型シビックの設計チームは、経営陣からの承認を求めた。伊東氏は設計をレビューすると返答。翌朝、同氏は月末までにより小型でより生産コストを削減できる設計に修正するよう同チームに指示を出した。