日本陸上界では、短い距離の種目でスピードを強化して、徐々に長い距離へシフトしていくことが、オーソドックスな育成スタイルになりつつある。しかし、その逆はほとんどない。名誉総監督でもある澤木啓祐コーチからのアドバイスを受けて、 “逆転の発想”ともいうべき種目変更だった。
800mは中距離種目で、そのトレーニングは箱根駅伝を目指す選手たちと大きく異なる。新種目へのチャレンジは箱根駅伝をあきらめることを意味するため、村島は大いに悩んだという。「800mに移ったときは正直、悔しかったですね。でも、800mをやっていくうちに、自分の特性を生かせる種目だとわかったんです」。本格参戦1年目の昨季、学生歴代11位の1分47秒82をマーク。今季は5月の静岡国際で学生歴代5位&日本歴代10位となる1分47秒46までタイムを伸ばしている。さらに関東インカレで3年ぶりの優勝を飾ると、日本選手権では2位に食い込んだ。
「自分でも800mでの活躍は意外に感じています(笑)。ただ以前と違って、周囲からの期待に応えられるようになって素直にうれしい。800mをやっていて、いまは良かったなと思います。今後は世界を目指して取り組んでいきたいです」
村島の活躍は箱根駅伝に固執することなく、“新たな才能”を伸ばした一例といえるだろう。日本の中距離(特に1500m)は世界的に見て大きく遅れているが、その原因としてタレント不足が挙げられる。ただ、本当にタレントがいないわけではない。1500mで好タイムを狙えるだけのポテンシャルのある選手がいながら、箱根駅伝のために1500mではなく、1万mや20kmの練習にシフトしてしまうのだ。村島のような大胆な中距離転向は、日本陸上界にとって“新たな選択肢”になるかもしれない。
箱根駅伝をあきらめたことで日本代表に
箱根駅伝をあきらめたことで、今夏に開催されるロンドン世界選手権の日本代表につなげた選手がいる。男子50km競歩の小林快(ビックカメラ)だ。彼の競歩人生は、他のトップウォーカーと比べて、波乱に満ちているといえるだろう。小林いわく、「競歩をやりたかったわけではなく、いろんなことがつながって、いまも競歩を続けている状態」なのだ。
小林が憧れた舞台は箱根駅伝だった。中学1年時の家族旅行で箱根駅伝を現地で観戦。「山の神」といわれた今井正人(順天堂大)の走りに夢中になったという。「誰よりも速くてカッコいいし、これだけ多くの人を魅了する。当時の僕には衝撃的でした」と小林は振り返る。
中学から長距離をしていた小林は、全国高校駅伝の常連校・秋田工高に進学した。1年時のインターハイ路線で5000m競歩の枠が空いていたために、競歩を開始。そこで才能を発揮する。年々タイムを伸ばして、3年時にはインターハイで2位に入ったのだ。駅伝強豪校では長距離種目に出場できない選手が競歩に挑戦することはよくあるパターン。そこから競歩をメイン種目にしていく選手が大半だが、小林には譲れない“夢”があった。箱根駅伝に出場するためには、走らなければいけなかったのだ。
小林は「インターハイ路線は5000m競歩に出場するので、走りでチーム7番以内に入ったら駅伝を走らせてほしい」と監督に直談判。春夏のトラックシーズンは競歩を、秋冬の駅伝シーズンは走りをメインに取り組み、強豪校の駅伝メンバーを勝ち取った。3年時には全国高校駅伝に出場して、6区で区間17位という成績を残している(チームは9位)。
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