元ロッテ小宮山悟が語る「理不尽練習」の意味 いじめや暴力と、愛のムチとは何が違う?
最近では、プロの選手やアマチュアの強豪チームの練習方法が公開されることは珍しくない。多くが科学的な根拠に基づいたもので、どれもが合理的に思える。しかし、一見理不尽な練習にも意味がある。
「私が思う指導者の仕事は、選手の気持ちに火をつけること。『千本ノック』に代表される猛特訓は技術ではなく、精神面を鍛えるためのもの。捕れそうで捕れないところに打ったり、体力をとことん消耗するまで打ち続けたりすることで、選手に『クソッ』という気持ちを植えつけるのです。へとへとになったところでまだ『クソッ』と思えるかどうかを、指導者は見ているはずです。ボロボロの状態でもボールに食らいつく気持ちが大事。勝負を分ける土壇場では、それがなければ力を出せません」
それは、44歳までロッテのユニフォームを着て現役を続け、長きにわたり厳しい勝負の世界を生きてきた小宮山の偽りのない実感なのだ。
猛練習や特訓には何の意味があるのか
「立ち上がれないような状態でも『なにがなんでも捕ってやる』と闘志を出せる選手がどれだけいるか。それを見極め、育てるために猛練習はあります。そこをくぐり抜ければ『この選手は見どころがある』と認められるし、そうでない選手は『しょせん、この程度か』と思われて、大事なところでチャンスをもらえない。いわゆる猛練習や特訓は、第三者からはいじめているようにしか見えないかもしれませんが、そういう意味があります」
ノックの練習で、ユニフォームを泥だらけにして、足をもつれさせながらボールを追いかける姿は決してカッコよくはない。体力の限界に近づいた選手の姿は、ともすれば、滑稽に見える。しかし、そうならないとわからないこともある。「ノッカーと選手との戦いです。『おまえはそんなものか?』『まだまだやれる!』というやりとりのなかでしか生まれないものです。科学的に見れば野蛮かもしれないし、技術が上がるわけでもない。それでも、やる意味があると私は思います」。
小宮山は、選手の精神面を鍛える以外にも、そのような「体力の限界」に迫る練習の意味があるという。
「『こいつはどれだけやれるのか?』『大事なところで頼りになるな』という認識・確認の場です。それをチームで共有することで仲間同士の信頼も生まれます。ノッカーにどれだけ厳しい言葉をぶつけられても向かっていくような選手でなければ、本番では頼りになりません。『特訓は合理的ではない』といって、厳しい練習から抜けようとする人間はダメです。練習以外で選手を鍛えることはできませんから」
早稲田大学野球部は幾多の名選手をプロ野球に送り込み、高校野球や社会人野球で活躍する指導者も育成してきた。現在も、数多くの投手がプロ野球の主力として活躍している。和田毅(福岡ソフトバンクホークス)、大石達也(埼玉西武ライオンズ)、福井優也(広島東洋カープ)、斎藤佑樹、有原航平(ともに北海道日本ハムファイターズ)らはみんな、早稲田大学野球部OBだ。
「大学時代にいくらいい成績を残しても、プロ野球でそのまま活躍できるほど甘くはない。チーム状況や本人のコンディションの問題もあるので一概には言えませんが、アマチュア時代にどれだけ自分を鍛えたか、『歯の食いしばり方を知っているかどうか』でその後が変わってきます。合理的な練習だけでは、どうしても身に付かないものがある。理不尽なことに直面して、歯を食いしばった経験はその選手の力になるはずです」
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