「経帯麺」の「経帯」とは巻物の帯のことを指し、幅5mmほどのもの。実際再現されたものを食べてみたが、モチモチといい食感の平打ち麺だった。当時は精進汁でシイタケや梅昆布などのつゆをかけて食べられていたのではないかと推測される。
中華麺が室町時代から食されていたとは驚きである。しかし、一般にラーメンが普及していったのは明治以降。室町時代といい、光圀のときといい、なぜ一部の人にしか食べられていなかったのだろうか。新横浜ラーメン博物館の中野氏はこう推測する。
「今回の発見も僧侶が僧侶に振る舞ったという記載です。階級の高い人しか食べられなかったということだと思います」
当時は外食文化もなく、江戸時代以降に屋台ができるまではラーメンも知る人ぞ知るものだったのだろう。
ラーメンの定義はあいまい
ラーメン評論家の山本剛志氏は今回の発見に関してこう語る。
「今回の精進汁で作る『経帯麺』はいわゆる“ノンアニマル”(動物系不使用)の麺料理。動物系全盛の後、今は一周して『ビーガン』など動物系を使わないラーメンが進化してきています。今の流行に通ずる部分があるのが面白いですね」
ただ、今回発見された「経帯麺」は「中華麺」のルーツではあるが、「ラーメン」ではないだろう。「ラーメン」は新横浜ラーメン博物館の定義するとおり、「中国の麺料理と日本の食文化が融合したもの」であると筆者は考える。その点ではまだ「ラーメン」といえるものではなさそうだ。水戸光圀が食したものには「火腿」という中国ハムが使われていたという説もある。もしかしたらこちらは「ラーメン」と呼べるのかもしれない。なかなか定義があいまいなだけに、起源を固めるのは難しそうだ。
なぜ、これまでこの史実が見つからなかったのか。『居家必要事類』は大変有名な百科事典だったにもかかわらず、研究者の中ではかん水に誰も注目してこなかったため、今まで見つからなかったのではないかと考えられる。
新横浜ラーメン博物館の中野氏は語る。
「庶民の文化史にはまだまだ見落としがあるかもしれないですね。中華麺としてはおそらくこれが起源となりそうですが、ほかの食文化もまだ掘ってみる価値がありそうです」
これを機に、それぞれの食文化のルーツを調べ直してみるのも面白そうだ。
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