マイケル・ルイスがPost-Truthに斬り込んだ 行動経済学を生んだ2人の天才の物語

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難しいのは接頭辞のpostの意味が拡張され、「~の後」だけでなく「パラダイムが変わり従来の意味が損なわれた」というニュアンスを含んでいるからだ。ユビキタス(遍在)化したスマートフォンの液晶画面で虚実の境が失われ、すべてが情報のエントロピーに覆われていく世界では、デモクラシーもこの流砂現象から免れられない。そんな「衆愚」政治のミリュー(環境)を示すのが、Post-Truthという新語なのだ。

初出は1992年にセルビア系米国人劇作家が冷戦終結後のカオスを表現する際に使ったらしい。だが、2016年、にわかに使用頻度が高まった。うそだらけの放言で人気を博した英国独立党(UKIP)党首や、テレビショー司会者で不動産王のトランプの毒舌に、既存のエスタブリッシュメントが無残に蹴散らかされ、大手メディアや世論調査機関のみならず、政治家や経済人、学問の府まで軒並み権威が地に墜ちる「下剋上」が出現した。

うそを真実と錯覚させる操作を見破らないかぎり…

なぜなのか。「うそも百回繰り返せば真実になる」というナチス宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの名言(?)を引き、天を仰いで嘆息するだけなら思考停止に等しい。「真実を暴けばデマに勝てる」という単純な二分法はもはや通じない。うそを真実と錯覚させる操作そのもの、「見えざる手」が見えてこないかぎり、Post-Truthの津波にのまれるだけなのだ。

『かくて行動経済学は生まれり』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

ルイスが本作を書いた契機は政治ではない。米大リーグの選手発掘に統計手法を使って貧乏チームを強豪に一変させた2003年の『マネー・ボール』(2011年にブラッド・ピット主演で映画化)の書評で、シカゴ大学の行動経済学者が「野球をよく知るスカウトたちがなぜ見誤るのか、深い理由があるのを著者は知らないのか」と痛烈な弁を吐いたからだ。

錯覚の科学とも言うべき「認知心理学」のことである。ルイスは知らなかった。ところが、その無知を逆手にとって、開祖ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーという2人のイスラエル人の軌跡を追いかけたのには脱帽する。その結果、ゲッベルスの手の内はおろか、現代マーケティング理論や経済学の均衡理論の前提を揺るがす最深部、すなわち行動経済学の誕生前夜まで垂鉛を下ろすことができた。

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