iPhoneが「世界のすべて」を変えられたワケ 10年前は「電話できるiPod」と認識されたが…
2007年6月29日は、米国で初代iPhoneが発売された日。その日から10年が過ぎ、テクノロジー系に限らず、米国のメディアでは10年間の振り返りが話題となっている。最もインパクトのあるiPhone評は「すべてが変わってしまった」というものだった。
「すべて」というのは、米国人にとっての生活全般という意味合いだ。これは、筆者も非常に共感できる。筆者は2011年、iPhone登場から4年経ったタイミングで米国に引っ越してきたが、そこからの6年間の変化は非常に大きかった。
サンフランシスコ郊外のバークレーに引っ越してきた筆者は、車を持たず生活しようとして、早い段階で挫折していた。11月の寒い休日にシリコンバレーの都市、マウンテンビューを目指したところ、1時間に1本しかない電車を逃し、タクシーも見当たらず、次の電車を待つべく駅の近くのダイナーに入って飲んだコーヒーの味に絶望するという、そんな途方に暮れる経験をしたのだ。
しかし、今はそんな思いをすることはないだろう。
初代iPhoneは「今」を予想していたのか
スマートフォンのUberやLyftといったアプリで車を呼べば、確実に目的地にたどり着ける。そのダイナーのコーヒーがおすすめでないことも、Yelpアプリで察知できるのだ。ついでに、もし温かいコーヒーが欲しければ、Uberでタクシーに乗ってから、OrderAheadなどのアプリから道中のカフェにオーダーしておくことで、温かいコーヒーを待ち時間も支払いもなしでテイクアウトできる。
米サンフランシスコ近郊で生活していると、特に2012年以降の5年間は顕著に、「スマホとそのアプリによる問題解決」という落としどころへあらゆる物事が向かっているようにすら感じる。しかし、10年前のiPhoneが、はたしてそのように設計されていたのか、そうした期待が託された存在だったのか。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら