日本の不妊治療の現場に関する「2つの不安」 現場実務を担う「胚培養士」の実情
医師がこのような激務の中、現場の効率化を図ることが叫ばれる中で増えていったのが「胚培養士」である。医師に代わり、多くの仕事を担う胚培養士だが、全国的に不足している。たとえば不妊治療クリニックは都市に集中しており、給料も高いが、地方ではなかなか胚培養士を確保しづらい状況にあるという。
日本の不妊治療の現場では、「臨床検査技師」の兼務、もしくは「農学部で動物の卵子や精子の生殖細胞、及び胚を用いて研究を行っていた者」の採用等で急場をしのいでいるのが現状だ。すなわち、ヒトの生殖医療に十分に学んでいないまま、医療現場での実地で学んでいくケースも多い。
香川県立中央病院での事故の後、日本産科婦人科学会は、受精胚の「ダブルチェック」を義務づけた。元日本産科婦人科学会理事長でもある吉村泰典医師をかつて取材した際には、「ダブルチェックという安全管理と並行して、胚培養士の国家資格制度もいずれは実現の方向へ向かうのが望ましい」と強調していた。
家畜の精子と、ヒトの精子は実は違う?
「顕微授精」に用いられる精子側の技術も、家畜繁殖業界から導入されたという背景がある。
具体例を挙げれば、ウシの場合、約十万頭の候補から個体選抜された1頭の雄ウシが「種ウシ」となって一元的にメスに精子を提供している。このとき種ウシの精子は、運動していれば品質(受精に必要な精子機能)が極めて良好で、精子間にばらつきがないとされてきた。約十万頭から選ばれた1頭なので、運動精子であればDNA構造を含む他の精子機能もほぼすべて正常であるはずだという「精子性善説」が成立しているというわけだ。つまりウシ精子においては「運動精子=良好な質の高い精子」というシンプルなロジックが成り立っている。
一方で、前出の黒田医師によると、「ヒトでは、正常の精子形成能力を持っている男性であっても、DNAを損傷した運動精子が一定の比率で産生されることがわかっていて、運動精子の中にも機能異常精子が混在している」という。
つまり、ヒトでは、運動が良好な精子であっても、遺伝情報を担うDNAに損傷があったり、さまざまな機能異常が見つかる場合があるので、ウシのように精子性善説はヒトでは成立しないということだ。「泳いでいる=動いている」という見かけだけでは精子の品質はわからないのだ。
日本産科婦人科学会においても、2009年に「精子数や運動率は、必ずしも精子の質を直接反映するものではない」とコメントしている。
それにもかかわらず、精子側の妊孕力(妊娠させる能力)の主要な指標として、精子の最も特徴的な機能である「運動性」に着目し、顕微鏡でのぞいて「動いている精子であれば良い精子(運動精子=良好精子)」であると判断し、患者に「精子で大事なのは運動率と数」と伝えている不妊クリニックは少なくない。言い換えれば、運動精子のDNAは正常であるという「精子性善説」が大前提になっているのだ。
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