幼少期に学習習慣をつけ,あとは自主性を尊重
親の介入は我が子の個性と時期と、親子関係次第

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鶴見俊輔氏の場合

最近、後藤正治氏が新聞のエッセイに、「『世界のいまを論じ、世の行く先を見通す』知識人が少なくなった。知にたけた人は大勢いるが、重みと信頼感に欠ける。その論考の背後にひそむ<歴史>が欠如しているから」と書いていました。そしてそんな数少ない知識人のひとりとして鶴見俊輔氏を挙げていました。

父は政治家の鶴見祐輔、祖父に後藤新平、姉は鶴見和子、従兄弟は……と、「名門の御曹司」でハーバード大学出。さぞや親は何もしなくても秀才コースをひた走った方なのだろうと思いきや、「厳格な教育を強いた母親との癒しがたい確執」の記憶から、老齢に達しても逃れられていないそうです。

その後の鶴見氏の履歴から拝察しても、青少年期から氏はすでに、相当秀才だったと思われます。私の一読しての感想は、これほどの優秀な子を母親は見抜けなかったのか、なぜ信頼して自主性に任せず、確執を残すほどに厳格な教育を強いたのか、ということです。その後の放校、うつ病、自殺未遂と深く関係するほどの厳格さだったようです。

子の希望より親の欲が上回り、上手く行かなかった知人を思い出します。芸術大学志望の息子に「医学部以外は行かせない」と一歩も譲らず、息子は一浪後も医大不合格となり職人になりました。その息子はずっと親を恨んでいます。医者か歯医者を継ぐ家庭の子が合格できなかったばかりに、逆にぐれたり家出をした例など、枚挙にいとまがないほど知っています。

また友人のひとりは、親が強行に反対する文学部に入ったばかりに援助してもらえず、苦学しました。「文学部ではメシが食えない」が反対の理由でしたが、彼は学者として立派な人生を送り、老後の親も支えました。鶴見家の「厳格な教育」の内容がわかりませんので大きなことは言えませんが、教育といえど親の過干渉でよい例をあまり知りません。

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