「アマゾンの奴隷」になっていると気づいた日 テクノロジー企業なしではもう生きられない

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僕の場合、最初に手放すのはフェイスブックだ。もともと交流関係はツイッターか、iメッセージ(アップル)かスラックのメッセージング機能を使っているから、フェイスブック(とその傘下のインスタグラムとワッツアップ、メッセンジャー)がなくても大した不便はない。

次はマイクロソフトだ。ただ、現実に手放すのはやや難しい。僕は普段、ウィンドウズを使っていないけれど、ワープロソフトのWordだけは必需品だ。これを手放すのは、ちょっときつい。でも、本当にきついのはここから先だ。

3番目に手放すのは、アップルだ。これはものすごくつらい。iPhoneは僕が1日でいちばんよく使うデバイスで、その次はMacbookとiMac5K(たぶん人生で最高のコンピュータだ)が続く。アップルを手放すということは、僕の生活をディープに再編する必要がある。たとえばサムスンのソフトウエアを使うとか。でも、やれないことはない。

でも、残りの2つにサヨナラしたら、僕の生活は完全に今とは違うものになってしまう。

僕が4番目に手放すのは、グーグルだ。本当のところ、グーグルなしの人生なんて考えられない。世界最高の検索エンジンがなかったら、テクノロジージャーナリストとしての仕事はほぼ不可能だ。YouTube、メール、マップ、カレンダー、翻訳、ソフトウエア、写真アーカイブ、それにOSのアンドロイド(アップルを捨てたらこれしかないのに)がなかったら、僕の人生は20年くらい逆戻りしてしまう。

逃れられない「便利の罠(わな)」

最後はアマゾンだ。1990年代に登場してすぐ、大学生だった僕はアマゾンを使い始めた。以来、就職して、結婚して、子どもが生まれて、やること(と種類)がどんどん増えるに従い、アマゾンが僕の人生で果たす役割もどんどん大きくなった。

子どもたちが生まれた頃は、アマゾンはわが家のコストコとして、おむつなどのベビーグッズを届けてくれた。最近では毎回注文する必要さえない。トイレットペーパーやペーパータオルなどの消費財は、いちいち注文しなくても定期便でやってくる。

さらにアマゾンはメディア事業に参入し、僕は映画やドラマもアマゾンで見るようになった。さすがにこれ以上サービスが多様化することはないだろうと思ったとき、エコーが登場した。アレクサという人格を持つしゃべるコンピュータは、わが家に新たな笑いをもたらした。今度は画面も搭載するようになれば、ますます家族の一員のようになるだろう。

もちろん僕は、「便利の罠」にはまった極端な例かもしれない。たったひとつのオンラインストアに、生活のありとあらゆるサービスを頼るなんて、この世も終わり……と思う人もいるだろう。

でも、アマゾンでなくてもいい。あなたもアマゾン、アップル、フェイスブック、マイクロソフト、そしてグーグルを自分の生活から取り除いたらどうなるか、想像してみてほしい。これらのテクノロジー企業がいかに僕ら現代人の生活の細部まで入り込んでいるかわかるから。

(執筆:Farhad Manjoo記者、翻訳:藤原朝子)

© 2017 New York Times News Service

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