日本の「規制緩和」が遅々として進まない事情 「司法」は「行政」に遠慮しすぎていないか
アベノミクスをスタートさせるにあたって、安倍首相自身も「岩盤規制にメスを入れる」「聖域なき規制緩和を行う」と宣言してきた。しかし、森友学園や加計学園といったスキャンダルを見ると、安倍首相がやったのは岩盤規制を放置して、お友達の「倫理なきビジネス」の手助けをしたようにしか思えない。
自民党政権は、長期にわたって規制緩和を掛け声に選挙を有利に戦ってきた。しかし、その実態は諸外国に比べて遅々として進んでいない現実もある。今回の規制改革推進会議の答申を機に、日本の規制緩和について考えてみたい。
規制は本来「政治家」と「官僚」の利権だった?
もともと今回の規制改革推進会議は、首相官邸が主導してきた一連の「規制改革会議」がベースにある。自民党政権時代、民主党政権時代ともに、同様の会議が、名称などを次々に変えながら延々と続けられてきたものだ。
システムとしては、首相の諮問会議という形式にして、どんな規制緩和が適切かを審議して首相に答申する仕組みになっている。最も有名なのが森喜朗内閣、小泉純一郎政権時代に設置された「総合規制改革会議」(2001年4月1日~2004年3月31日)で、オリックスのCEOだった宮内義彦議長が、「製造業における労働者派遣事業の解禁」と「郵政民営化」などを答申した。
正規社員を激減させて、パートやアルバイトばかりを増やすことになった労働者派遣事業の解禁も、もともとは規制緩和の一環だったわけだ。結果的に、国民を苦しめる規制緩和になったと言っても過言ではないだろう。
また、郵政民営化の議論では3年間の議事録が作成されておらず、会議でどんな議論がなされたのか詳細が不明で、議長の説明責任が問われたものの、2004年3月に閣議決定されて推進された。周知のように、郵政民営化は国会を解散して国民に信を問うた。小泉政権は大勝し、その流れで第1次安倍内閣も誕生した。
その後も、「規制改革・民間開放推進会議」(第2次、第3次小泉内閣)、「規制改革会議」(第1次安倍内閣、福田康夫内閣、麻生太郎内閣、鳩山由紀夫内閣)と続き、第2次安倍政権時代にも「規制改革会議」の名で引き継がれた。2016年7月に規制改革会議の任期が終了し、現在の「規制改革推進会議」がスタートしたわけだ。
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