ネット時代に、なぜ「読書」が大事なのか? カリスマ編集者と経営学者、「読書」を語り尽くす(下)
時間の流れで価値をデザインする仕事
楠木:今のお話はすごく面白いですね。佐渡島さんは複数のアイデアの「組み合わせ」とおっしゃったけれど、厳密にいうと「順列」のことではないでしょうか? 昔、小学校の算数で習いましたでしょう? リンゴ、モモ、ミカンの組み合わせだと、「リンゴとモモ」も「モモとリンゴ」も同じです。しかし順列の場合は、リンゴが先にくるかモモが先に来るかでまったく別物です。順列には、何が先に来るかという時間軸が入っている。その意味で、僕は単純な組み合わせと区別して、ストーリーという言葉を使っています。
佐渡島:ああ、そうです。僕が言っているのも組み合わせじゃなくて順列ですね。
楠木:時間的な物事の順番、あるいは文脈のどこに置かれるかで、ものの価値が変わってくると。そこは価値のつくりどころですし、無限に価値がつくりだせますね。戦略でよろしくないのは「飛び道具」に頼ること。消える魔球はしょせん存在しないし、160キロの剛速球だとすぐに肩を壊す。これからの時代、ますます飛び道具は見当たらなくなってくるでしょう。それでも人間は価値を必要としているし、新しい価値は無限につくることができる。
佐渡島さんのお話は、新しい価値を時間的な展開の中で創造していくということに思えますね。これまで漫画という限られた分野でやっていたこと、その論理を一段階抽象化していろんな分野に適用していくという話ですね。
佐渡島:確かにそうです。今はしきりに雑誌とウェブマガジンが比較されます。雑誌はリニアな一直線の流れで、順列を編集長がコントロールしている。「巻頭の特集で幅広い読者の興味をつかんで買わせて、次に来る連載でリピーターを確保して」というように。ところがウェブマガジンには時の流れがない。特集も連載もコラムも、全部が同時にバラバラに存在していて、リニアではないという議論がなされています。
そもそも雑誌の場合、各編集者は自分の担当ページだけを作るから、リニアな感覚を養えるのは編集長だけです。それに比べて漫画の編集は、作品ごとにリニアな感覚が必要で、担当者一人ひとりがひとつの作品をトータルで見るという、編集長のような役割を果たします。僕が新人漫画家にいつも話すのはこの感覚についてです。「とにかく50ページを熱中して描き切ったということは、アイデアは悪くないんだよ。君ひとりでも熱中するアイデアだったなら、面白いんだと思う。でも、読んでも面白くないのは、演出が悪い。出す順番が間違っているからだよ」と。
楠木:興味深いですね。僕に言わせると、従来のインダストリアル・デザインには、「時間」が入っていない。もちろん機能美だとか、ユーザーにとっての使い勝手の良さといった要素はありますが、そこにある時間は天然の時間の流れでしかない。「スマホで写真を撮ったら、次は送信する」というユーザーが持つ天然の時間軸に沿って機能美を追究しているわけで、つくり手による時間の編集はなされていない。こういう視点が一般的に言う「デザイン」の中に入っていないように思います。現実には、デザイナーとかクリエイターの仕事というのは、時間軸の上にストーリーを構想し、ストーリー全体で価値を創造するということに、とっくになっていると思います。
例えば、僕はファーストリテイリングのお手伝いを通じて佐藤可士和さんのお仕事を見ていますが、店舗のデザインひとつとっても、ちゃんとつくり手による時間展開がつくり込まれている。ようするにストーリーになっている。ところが、世の中の仕事についての認識は、まだまだ「製作物があってなんぼ」。「ストーリーで価値をつくることが仕事です」という認識が共有されていない。佐渡島さんは文字通りのストーリー、そのクリエイティブをずっとお仕事にしているわけで、僕にとっても非常に面白い。