仏マクロン「一度挫折した自由化政策」の行方 オランド前政権の二の舞になりかねない
そもそもこの法の淵源は、ニコラ・サルコジ元大統領時代のジャック・アタリ氏を議長とする経済諮問委員会が出した、『フランスを変えるための300(正確には316)の決定』(2008年)にある。マクロン氏はアタリ氏のもとで活動していた。フランスの経済的衰退の理由はフランス独自の規制にあり、この規制を300以上にわたって撤廃するというものだった。
2008年2月、この提案をめぐってフランスの交通機関はストライキに入り、結局、その後のリーマン・ショックの影響もあり、規制撤廃は効力を失った。アタリ氏の考えはこうだ。徹底したグローバル化と競争が、フランス経済の繁栄を生む。それが結果としてトリクル・ダウンし、貧困を解消すると。
マクロン法はこの提案を具体化したものだが、結果として猛烈な反対に遭っている。マクロン氏はこの反対に失望して自ら内閣を去ったのだ。大統領になったら、まずこれを実現することは間違いない。彼の持論は、今やフランスが新しい資本主義社会に直面し、それに対し立ち遅れてはならず、その資本主義とは自由競争とグローバリゼーションで、それを前にしては左派も右派もなく、挙国一致が必要、ということである。
オランド前政権で自由化政策は失敗
その意味でマクロン氏の中には、これまで左派政党がもっていた平等という概念は、機会の平等という言葉を除き、まったく存在しない。だから社会党政権が実現した35時間労働を39時間労働にするという提案を行う。そしてこう主張する。「ヨーロッパを発展させることと、グローバリゼーションを行うことの中にこそ、われわれのチャンスがある」(『革命』264頁)と。
マクロン氏の経済成長の鍵は三つある。一つ目は人的資本への投資(教育の充実と職業訓練)、二つ目は環境などのインフラ投資、三つ目はネットの活用だ。これらは漠然としているが、左派も右派も、さらには緑の党も組み込める内容をもっている。しかし、今回420万票の白票が投じられたことをみても、彼の主張に対し反対が多いことも確かである。それは、マクロン氏の考えるトリクル・ダウン政策は、結果的にフランスの民衆の貧困化に拍車をかけるだけという批判にある。
自由化によって貧困を救うという点で、マクロン氏も確かに人民の味方ではあるが、そうした自由化政策は、すでにオランド前政権で挫折しているのだ。テレビ討論でルペン氏が言った言葉、「あなたはオランドと同じことを行うのか」という言葉が、気になるところだ。
最後にヘーゲルの『精神現象学』の序文の言葉を噛み締めてみよう。「ただ心すべきは、一般大衆と、一般大衆の代表者ないし代弁者をもって任ずる人とを、不用意に同一しないように、ということだ」(長谷川弘訳、作品社)。人々は賢くあるべし。
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