都市公共交通の新潮流・路面電車 国は道路財源使い建設を促進せよ
かつては、交通渋滞の元凶として目の敵にされたこともある路面電車が、今再び脚光を浴びている。
路面電車の歴史は古く、わが国における最初の営業は1895年に京都市で開通した京都電気鉄道(後の京都市電)にさかのぼる。営業のピークは1932年。簡便な市民の足として、全国65都市、82業者、総路線長1479キロメートルに達した。
しかし戦後も60年代になるとモータリゼーションが本格化、路面電車は交通渋滞の元凶として、一転、邪魔者扱いされるようになる。全国で廃止が相次ぎ、現在、わずか19事業者を残すのみの状態だ。
ところが最近、流れが再び大きく変わりつつある。その例を富山市で見てみよう。
富山市の路面電車の歴史は1913年に始まる。当初は民営の富山電気軌道として開業、20年に富山市に譲渡された。戦争中の43年に「陸上交通事業調整法」に基づき富山地方鉄道(以下、「地鉄」と略)に譲渡、再び民営となった。最盛期の60年代には総路線長11キロメートル、6系統が運行されていたが、その後縮小。現在は6・4キロメートルが運行されている。
と、ここまでは富山市もほかの都市と同様、縮小の軌跡をたどってきたが、そこに一石を投じたのが旧JR富山港線の路面電車化である。
旧富山港線は、路線距離8・0キロメートルの小さなローカル線だった。2006年2月までJR西日本が運営していたが、JRの赤字路線分離政策により第三セクターの富山ライトレールに移管、同年4月から路面電車化して営業を再開した。
予想を上回る乗客数
JR時代の2002年度の実績に基づく1日当たり利用者数の目標は3400人。しかし、開業直前の05年10月に実施した利用者の実数調査では、平日2200人台、日曜日1000人台という実績で目標達成が危ぶまれた。
富山ライトレール富山港線は06年4月29日に開業したが、運行を開始してみると利用者数は予想以上で、07年3月末までの初年度(営業日数337日)の乗客数は165万人、1日当たり4901人と目標を大きく上回った。2年目の07年度も、新たな目標4000人/日を上回る4480人の実績を残した。
富山市は、人口減少や高齢化に対応するため、「公共交通を利用したコンパクトなまちづくり」を重要施策として掲げているが、富山ライトレールはその中核だ。
市内路面電車網全体の計画としては、09年開業の目標で地鉄富山市内軌道線の新線建設による環状線復活計画がある。これは、地域公共交通活性化法に基づいて上下分離(線路の建設・保有主体と運行主体の分離)方式をとることになっている。
08年5月には森雅志富山市長が、地鉄上滝線(富山市の南富山駅と中新川郡館山町の岩峅寺駅を結ぶ12・4キロメートル)のLRT化(後述)と市内軌道線との直通運転を行うという構想を示唆している。
さらに14年の北陸新幹線富山乗り入れ、JR富山駅の高架化に合わせて、富山ライトレール線と地鉄市内軌道線を接続、直通運転を実施することも計画されている。
このように、富山市では路面電車の整備による都市活性化策が積極的に進められており、しかも当初の予想を上回る結果を出しつつある。