自民党の「派閥」はなぜ求心力を失ったのか 「一強」時代の今、ひもといておきたい歴史
派閥の候補者に対する支援の第1は、党の公認の獲得であった。公示前には派閥の助力を得て後援会づくりが進められる。公示後も無所属候補に派閥が実質的な援助を与えることは可能であり、当選すれば自民党の追加公認という道も開かれていた。しかし、公認候補になると、選挙資金の援助や友好団体の応援といった便宜が党から与えられるし、非公認になれば、派閥としても党則上、公然と支援することが難しくなる。だからこそ、かつて派閥は公示の直前、党の公認の獲得をめぐって争ったのである。
ところが、現在では、候補者が党の公認を取り付けるうえで、派閥が役割を果たすことはほとんどない。小選挙区比例代表並立制の導入後も10年ほどは、候補者間の調整がつかず、1人が小選挙区、もう1人が比例代表に単独で立候補し、次の選挙で入れ替わるコスタリカ方式がかなり残っていた。しかし、コスタリカ方式の解消が進むと、候補者が別々の派閥の支援を受けて公認を争うことが、めったになくなった。その結果、派閥という要素は、党の公認の決定に際して重要性を失っていった。
そのことは、公認の決定プロセスの変化にも示される。自民党本部の選対関係者によると、2000年代の半ばまでは、各派閥が選挙対策小委員会に委員を送り出しており、選挙対策本部で公認候補を決める際には、そこで事前に派閥間の調整が行われ、了承するという手続きが踏まれていた。いまでも多くの派閥が選挙対策委員会の副委員長にメンバーを送り込んでいるが、かつてのような派閥間の調整メカニズムはなくなり、選対副委員長の役割も派閥の代表から選対委員長の補佐に変化してきているという。
党の公認なくして当選することが困難に
他方、小選挙区制の導入により、各候補者にとって党の公認は決定的に重要化した。当選に必要な得票率が中選挙区制よりも上昇したため、党の公認なくして当選することが困難になったからである。また、中選挙区制下のように、無所属で立候補したうえで党の公認候補を破って当選し、追加公認を得るという道もほぼ失われた。その結果、党執行部が持つ公認権は強化され、「加藤の乱」や郵政選挙の際には、造反を抑え込むうえで大きな効果を発揮した。なお、拘束名簿式の比例代表制も、党執行部の公認権を強くする。
中選挙区制での派閥の候補者に対する支援の第2は、選挙運動への応援である。各派閥はそれぞれ独自に選対を設置し、知名度が高い幹部やメンバーを応援弁士として派遣したり、衆議院議員選挙であれば参議院議員、参議院議員選挙であれば衆議院議員の秘書を手伝いのために送り込んだりした。応援弁士は、選挙前にも国政報告会などの際に派遣されるが、浮動票の獲得とともに、陣営を引き締める効果を持つ。派閥は、接戦の選挙区に重点的に支援を行うことで、自派のメンバーを増やそうとした。
現在でも、選挙に際して派閥選対が設置される。ところが、各派閥の関係者は一様に、応援弁士の派遣について、派閥も行っているとはいえ、党本部が中心的な役割を果たすようになったと語る。かつては派閥が芸能人を応援で送り込むこともあったが、いまではほとんど聞かれなくなった。秘書の派遣も少なくなっている。このように派閥の活動量が低下した大きな原因は、資金力の減少にある。
派閥の候補者に対する支援の第3は、資金面での援助であるが、これも同じく重要性を低下させている。総じて、国政選挙で派閥の役割が後退していることは間違いない。
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