「ダブルパンチでした。母は看病で疲れ果てて倒れたりしていたので、家のことは一人娘の私がやらざるをえません。父と祖母が他界して遺品の整理などを終えたとき、悲しさと同じぐらいにホッとしました。あの不思議な気持ちは、長患いして亡くなった家族を持った人しかわからないと思います」
とりわけ苦労をしていた母親は「ヨーロッパにでも行ってみたいわ」とボソリと口にした。元気なうちに連れて行ってあげたい――。寛子さんはすぐに手配をした。それから10年間、毎年2人でヨーロッパ旅行を楽しんだ。一人っ子はたった1人で親孝行をしなければならないのだ。
いつまでも若いつもりだったけれど
そんな寛子さんが結婚を考え始めたのは会社員らしいきっかけがある。35歳になり、健康診断の受診項目が増えたのだ。
「いつまでも若いつもりだったけれど、そうでもないかもと思ったんです(笑)。母もいずれは亡くなります。ずっと1人でいるのはどうなのかな、と。母に伝えたら、『よかった~。あなたもまともな考え方をしていたのね』と喜ばれてしまいました」
独特の面白さがある寛子さんは、身近な男性から好かれることが少なくない。当時、同じ部署にいた8歳年下の男性からは食事に誘われ続けていた。
「若い割に気が利く男性ですが、私を誘っているのはどうせ冷やかしだろうと思っていました。試しに誘いに乗ってみたら、いきなり告白されたんです。変わった子だなと思ったけれど、付き合ってみることにしました。でも、何かが違う。たとえば、私は子どもの頃にスーパーファミコンをやって以来、ゲームはまったくやりません。でも、彼はバリバリのゲーマー。ジェネレーションギャップを感じてしまいました。一生懸命に気を使ってはくれたけれど、自然に付き合える感じではなかったです」
彼は寛子さんと別れた後、12歳年上の女性と付き合って結婚したという。とにかく年上好きの男性だったのだろう。
寛子さんは年下の男性を導いていくタイプではない。それぐらいは初対面の筆者でもわかるし、寛子さんも自覚している。ならば、年上の男性も多く在籍している大手の結婚相談所に入るのがいいかもしれない。寛子さんがそう決断したのは38歳が終わる頃だった。
「でも、現実は厳しいんだな、と初めて知りました。会ってみたい男性がいても、私の年齢を理由に断られてしまうんです。相手は40代前半なんですよ。会うだけ会ってくれてもいいのに、と思いましたが、仕方ないですよね……」
お見合いすら断られることが半年以上続いた。それでも数人の男性とは会ったが、やはり「何かが違う」と感じてしまう。あきらめ始めていた頃、現在の夫である貴彦さん(仮名、46歳)がやってきた。本日のインタビューと同じように、都内のホテルでのお見合いだったという。
「待ち合わせ時間の10分前までには現地にいることを紹介所の人から指導されています。でも、彼は1分ほど遅刻してきたんです。必死で走ってきたので理由を聞くと、途中で道に迷ってしまったと正直に言って謝ってくれました。それなら全然問題ありません」
中高は男子校で、大学は理系だった貴彦さん。女性と接する機会が少なく、口は重いほうだ。しかし、見た目からして寛子さんは「いいな」と直感したという。
「薄い水色のシャツにグレーのジャケット姿でした。どちらも私が好きな色です」
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