当時はもっぱら、ソフトを扱うIT企業が隆盛を極めていた。しかし、清藤さんはソフトだけではなく、日本の強みであるハードとソフトを融合させてビジネスを仕掛けていけないかと考え、メーカーを志望。その結果、松下電器産業(現・パナソニック)に入社することになった。
進化したいなら、居心地の悪い場所へ行け。口でそう言うのは簡単だが、居心地のよい場所を出られない人は多い。しかし、清藤さんは違う。自身を成長させるために、初任配属から進んで荒波の中に飛び込むことを志願した。
「ドロドロ」の営業に邁進し、身に付けたもの
「会社に入ったら、将来は明確にブランドマーケティングに携わりたいと思っていました。ですが、机上の空論を振りかざすのではなく、現場感がある人になりたいと思ったのです。そこで、最初からいきなりマーケティング職を希望するのではなく、あえて"ドロドロの営業職"への配属を願い出ました」
希望が通り、清藤さんは携帯電話用デバイスの生産財営業に配属された。そして、24時間いつでも呼ばれれば顧客の下へ飛んでいき、納期トラブルが起きそうになれば一筋縄でいかない交渉に臨む毎日を送ることになった。
「最初はうまくいかないこともありましたが、徐々にお客さまのニーズを酌み取っていい提案ができるようになると、『清藤さん、意外と話がわかるね』と言われるようになっていきました。試行錯誤しているうちにどんどん提案が通るようになり、納入率が上がっていくのがうれしかったですね」
組織が大きければ、それだけ広大なフィールドが広がっている。清藤さんはショートカット(近道)の誘惑に負けることなく、まずしっかり足腰を鍛える道を選んだ。
慣れが生じてきたときが環境を変えるときだ。清藤さんはさらなる成長を求めて社内公募制度を活用した。2004年に松下電工株式会社(当時)に異動。以来、ビューティや身だしなみに関する商品企画や戦略立案に携わっている。
ここからの清藤さんの活躍は、ナノケアドライヤーや頭皮エステをはじめとする商品や駅ナカのパウダールームサロン「CLUXTA(クリュスタ)」の立上げなど、数々のアウトプットを通じて世の中が知るところだ。
では、なぜ清藤さんは立て続けにこれだけのヒットを飛ばすことができたのだろうか。そこには、謙虚に学び続ける姿勢があった。
「鼻っ柱が強くて、意地を張っていた頃、ずっと『お前のこういうところがいけない』と言って、あきらめずに育ててくださった先輩がたくさんいました。最初はお互い日本語が通じないのかと思うぐらい、自分が言われたことの意味がよくわかりませんでした」
ただ、それでも清藤さんは、悔しかったことや腹が立ったことをとにかく全部メモに残すようにしていた。やがて、変化が訪れた。「繰り返しメモを見直していたら、『あのとき、こんなことを指摘されたな』『なんか私ってまだ足りないな』と、急に言われた意味がわかる瞬間が来たんです。考えてみれば、私は人一倍成長志向が強くて、褒められるより怒られるほうが好きなんだと思います(笑)」
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