ドイツの公務員は「人事異動」がほとんどない 日本社会は公務員の異動で「損」をしている
ドイツの自治体には、今でも国家意識のようなものがあるように思える。自治体の仕組みは州によって多少異なっていることもあるのだが、たとえばバイエルン州のある町を見ると、文化、環境など、各部署のトップは、いわば「文化大臣」「環境大臣」のような政治的な存在だ。こういった行政関係者らと話していると、市長を「首相」とする内閣のような意識が見えてくるのだ。
「各大臣」の下には部長がいる。いわゆる地方官吏で実務を司っている。やや乱暴な整理の仕方をすると、政治は戦略を担当し、行政は戦術担当といえるが、ドイツの自治体には各分野の戦略責任者の「大臣」がいて、戦術責任者として官吏がいる構造だ。例えば都市計画ならば「都市計画大臣」に相当するポストの人物が長年、都市のビジョンを発信し、新聞などでも頻繁に登場する。名前もよく知られ、その存在感が大きい。日本の自治体に、こうした存在感のある行政関係者はなかなかいないだろう。
日本の公務員が異動を繰り返す「意味」
一方、人事異動で新しい職場についた日本の公務員諸氏は、おそらく新しい仕事を覚えるべく奮闘していることだろう。「勉強させていただきます」といいながら、外部の関係者へのあいさつまわりに忙しい人も多いと思う。
日本の公務員の場合、一部の専門職を除いて、ジェネラリスト志向の人事がなされる。その理由としては、長年同じ部署で仕事をし続けると、外部との癒着がおこりやすいからと説明されることが多い。また、異なる分野のキャリアを積んでいくことで、いずれ行政の仕事の全体を理解できるようになるという利点もある。
こうした人事コンセプトに対し、個人レベルでの感じ方はさまざまだ。「新しい仕事に変わるたびに、好奇心がわいて、挑戦したいという前向きな気持ちになる」と考える人もいるだろう。一方で、「せっかくこれまで知見を蓄積してきたのに、それを放棄して新しい仕事を覚えねばならないのがストレスだ」と感じる人も当然いよう。
ただ、組織全体で考えてみると、このシステムは大変な損失を生む。せっかく積み上げてきた仕事の経験やノウハウを、後任にスムーズに引き継ぐには、相当の時間と労力が必要だ。これまで経験したことのない仕事をするという意味では、異動のたびに「新人」に近い状態の人が発生することになる。これらに伴うデメリットは、「癒着防止」「ジェネラリスト育成」といったメリットよりも大きいのではないか。
日本で45年以上にわたって様々な自治体と仕事をしている、ある都市計画コンサルタントはいう。「都市計画は複数年にわたることがある。行政マンの頻繁な人事異動で担当が変わると、これまで協議・調整・合意されたことをそのたびに改めて双方が確認し、そして次年度の業務に取り掛かることになる」。
同コンサルタントによれば、質の高い都市計画を実現するために必要なのは、自治体の担当者が一定の年数は異動せず、加えて一緒に議論ができて、それをまとめ上げる力を持った専門性の高い人材であることだという。これは、都市計画だけではなく、さまざまな分野の施策で言えることなのではないか。
ドイツと日本を単純比較して、日本をドイツのように変えるべきだとは思わないし、変えることは不可能だろう。システムや人材に対する考え方も違えば、歴史的に官吏の発生背景や彼らが共有する価値なども違うからだ。また、ドイツでは行政に対して「官僚主義」などの批判が常にある。
ただ、日本でも公務員を市民の団体である「自治体」の管理運営をしてもらう「専従」のようなものと考えてみる手はあるだろう。
近年、自治体のあり方は高度化、専門化している。自治体の切り盛りを任せるならば、ジェネラリストよりも専門家集団のほうが仕事の質も高まり、コストパフォーマンスがよい可能性はある。専門家としての矜持があれば、「何もしなければ、失敗はしない」というマインドも生まれにくいし、「不況のおりに安定を求める」という職業観で公務員を選ぶ人も減るのではないだろうか。
昨今では、日本でも一部の自治体で職員に大学院で高度な知識を得てもらう取り組みを行っているところもある。専門性の高い公務員が外の専門家と互角に渡り合うことで、自治体のクオリティを高めるという方法もあるはずだ。
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