なぜ安倍昭恵夫人の言動は「軽い」のか? 神さまに呼ばれ「自分探し」
「ものごとをあまり考えない。非常に子どもっぽい方のように感じています」
しかし、昭恵さんの心情には一定の理解も示す。
「自分が行けば、周囲が喜んでくれる。素直に楽しかったんでしょう。私は疑り深いですから、様々な腹づもりの人がいると思って周囲を見ますけれど」
土着回帰から日本伝統礼賛にハマる流れの象徴か?
「神さまに呼ばれた」
昭恵さん本人の理念は、極めてシンプルだ。2015年の著作『「私」を生きる』(海竜社)には、第1次安倍内閣が終わった07年、「心に決めた」こととして、こう記されている。
「五十歳からの人生に向けて、安倍晋三の妻としてより、一人の女性、安倍昭恵としてどう生きるかを考えたい」
前出の中島さんは言う。
「昭恵さんは、森永製菓創業家に生まれ育った、超お嬢様です。40歳を過ぎて、あまりに遅い自分探しを始めました。大学院に通い、ミャンマーに行き、11年6月には山口県に昭恵農場を開きます。同時にスピリチュアルな世界に関心を持ち、関係を深めていきます。特徴的なのが、対談などに頻出する『神さまに呼ばれた』といった表現です」
ナチュラリストを突き詰めて、「日本の伝統」にぶつかるのは、よくあることだという。
「私たちが彼女に違和感を抱くのは、右派的思想と左派的思想が混在しているから。しかし、彼女にとって、なんら矛盾はありません。スピリチュアリズムを入り口に、従来の右や左とは違う軸で動いているのです」
中島さんが危惧するのは、安倍昭恵本人ではなく、こうした安倍昭恵的なもの──「安倍昭恵現象」だという。
「1960年代、感性を重視するヒッピー文化が米国から流入し、エコ運動などと融合して左派の一翼を担ってきました。この層が、土着回帰から日本伝統礼賛にハマる流れができつつある。昭恵さんはその象徴です。戦前の日本の超国家主義の担い手は、ゴリゴリの右派ではなく、実はこうした層でした。藤村操のような自分探しをして煩悶した青年たちの回帰先が、超国家主義だったのです」
昭恵さんは今、何を思うのか。
昭恵さんが開いた東京・神田の居酒屋の名はUZU。「渦を起こしていきたい」と、日本神話のアメノウズメにあやかって名づけた。かつてAERAに語ったように、彼女とその夫に「天命」があるというなら、踊り子として踊ることが自身に任じた「天命」なのか。間違いなく、渦中に彼女はいる。
(編集部・熊澤志保)
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