東京・四谷「坊主バー」に女性が殺到するワケ 「不謹慎だ」と言われても、悩みに寄り添う

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僧侶がお酒を出すことに、批判的な人も少なくない。

ただ、歴史的に見れば決して異端とはいえない。仏教の中に「喫茶去(きっさこ)」という禅語がある。「まあお茶でも飲みなさい」という意味である。相手の貴賤に関係なく、好き嫌いといった感情も関係なく「お茶を一杯、いかがですか」と、喫茶去の心をもつことが大切だという教えである。

「バーはカウンセリングの手前」と藤岡さん。筆者の仕事での悩みにも、仏教の教えを引用して実に丁寧に向き合ってくれた(撮影:梅谷秀司)

「バーというのはよくできたシステムで、海外ではカウンセリングの一歩手前の場所とも言われたりしますが、“相談室”より入りやすいですよね。カウンターひとつで会話が生まれます。何もない場所に座って、「はい、お悩みをどうぞ」と言われても話しにくい。「まあお酒でも一杯、いかがですか」という喫茶去の心で向き合うことで、本当のことを話しやすくなったりします。そんな場所にお坊さんがいるのは悪くないと思います。私も、たくさんのお客さまに出会ったことで成長させていただいています。ここは自分の修行の場でもありますね」

歴史の中でも、お寺でお酒をふるまい、市井の人々の悩みや苦しみを聞き続けた僧侶もいるという。想像すると、実に心温まる風景だ。

「オープンした頃は批判の電話が何本もかかってきました。電話口で怒鳴られたこともあります。坊主がお酒を出すなんて、不謹慎だと。確かに、仏教を広める方法はバーでなくてもいいかもしれません。でも私は、これが正しいと思って続けています。昼間は法要、夜はバーの店主です」

お客さんの6割は女性

実は、この店のお客さんの6割は女性だ。土曜日など女性客でいっぱいになるという。人間関係や親子関係、恋愛の悩みが多く、まるで普通のカウンセリングのように、お坊さんに悩みを相談する。

いったい、何が彼女たちを惹き付けるのか。常連の女性に話を聞いてみた。

「最初は仏教に対する誤解がありました。宗教とは、何かを強制させられるというイメージだったんです。悩みの解決も、“修行”をすることではじめて可能になると思っていました。でも、それは私の完全なる誤解で、ここに来てお坊さんが何かを強制することはないし、とても親身に話を聞いてくれることを知りました。仏教にはたくさんの智慧があり、ものの見方を変える気づきをいただけるのです」

人間関係に悩み、会社を辞めようと思っていた彼女は、ここでお坊さんたちと話すうちに、仕事への向き合い方も変わっていったという。

筆者も、「仕事でうまく付き合えない人がいる」という悩みを相談してみることにした。

藤岡さんは、筆者の言葉をじっくり咀嚼(そしゃく)してからこう言った。「仏教には、『怨憎会苦(おんぞうえく)』という教えがあります。 “憎しみ合う人も一緒にいなければならない。それは生きていく中で当たり前にあること。そして誰にも避けることができない”というものです。避けられないのなら、それをどう受け止めるか、そこに意識を向けたほうがよい。そう考えたら楽になりますよね。嫌だと思う人こそ、実は自分を成長させてくれる人だったりします。“この人が、自分の人生をステップアップさせるチャンスを持ってきてくれた!”と受け止めるのです」。

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