村上春樹「騎士団長殺し」は期待通りの傑作だ 「文芸のプロ」は、話題の新作をどう読んだか
彼はこの方法を、無名の頃に影響を受けた、アメリカのスコット・フィッツジェラルドという1920年代に活躍した作家から学んだはずです。
自ら翻訳した『華麗なるギャツビー』を思い起こしてください。ギャツビーとは何者だったか。まさに、「昔のかなえられなかった恋の物語を取り戻そうとして失敗する主人公」です。
彼はある偶然によって彼女との再会を果たし、しくじった恋をやり直そうとしますが、それは果たせずに「より深い喪失」を体験するのです。
「シーク・アンド・ファインド」の対象が、人から物へ
『1973年のピンボール』の昔から、村上春樹も忠実にこの基本パターンを、手を変え品を変えてなぞってきました。
今回彼が切り開いた新境地とは、「この物語の枠組みの更新」という1点にかかっています。つまり、「シーク・アンド・ファインド」の対象は、人間ではなく物に置き換えてもよかったのです。
『騎士団長殺し』では、妻に離婚を迫られた36歳の肖像画家の夫が、認知症で施設に入った高名な日本画家・雨田具彦(=親友の父親)の自宅兼アトリエに、留守番をかねて住み込むことになります。
その屋根裏部屋から、封印された『騎士団長殺し』というタイトルの絵が発見されます。不思議なパワーを秘めたその絵に埋め込まれた物語の謎解きに挑む、というのが、今回の「シーク・アンド・ファインド」の構図です。
毎度のことながらこの作品は、現実世界の出来事だけに終始するわけではありません。春樹作品には、「現実」と「非現実」を結ぶ「継(つな)ぎ目」が存在します。今回の作品で、「現実」と「非現実」の世界との「継ぎ目」を象徴するのが、老画家の自宅に近い小田原の「雑木林の中の穴」です。
「穴」というのも、村上春樹の使う重要な小説的なツールのひとつ。井戸跡の穴に閉じ込められる場面が印象的な、『ねじまき鳥クロニクル』の読者には、すでにおなじみでしょう。
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