金正男は「壁がない平和な世界」を夢見ていた 7時間独占取材した記者が伝えたいこと
故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の専属料理人として知られる藤本健二(仮名)氏は、かつて筆者の取材に対し、「正男氏が後継候補になったことはない」と述べたことがある。
藤本氏は著書『北の後継者 キム・ジョンウン』の中でも、「正男は女優で人妻だった成蕙琳と将軍の間で生まれた子供である」と説明。いわゆる略奪婚であり、正妻でない成蕙琳との子供を「いくら長男とはいえども、後継者に指名できるはずがない」と指摘している。
さらに藤本氏は金正日氏のそばで秘書課の一員として通算13年間仕えていたが、日本に帰国するまで長男・正男氏の存在をまったく知らなかったとも話している。金正日氏の成蕙琳への愛が薄れ、金正恩氏の母・高英姫への愛が続く中、後継者は早い段階から正恩氏か、その兄の正哲氏のいずれかと決まっていたと藤本氏は筆者に指摘していた。
父親と意見が合わずに仲たがい
金正男氏が後継者候補だったことはあるのだろうか。この点について、筆者が会見で五味氏に問うと、五味氏は「正男氏は9歳からスイス・ジュネーブに留学していたが、20歳でいったん帰国した」と説明。1990年代前半に父の金正日氏と一緒に北朝鮮全土を歩き回り、経済的な開発状況を視察したという。
しかし、「欧州で見てきた社会の在り方と北朝鮮の社会の在り方があまりにも違うため、意見が合わずに仲たがいし、彼の生活は荒れ、最終的に北朝鮮を去ることになったと聞いている」(五味氏)。「この話からして、一時的にせよ、父親から後継者としてみられていたと私は判断している」と述べた。
金正男氏の主張について、五味氏は「簡単に要約すれば北朝鮮の体制に批判的だった」と説明。「権力の世襲は社会主義体制とは合わず、指導者は民主的な方法で選ばれるべきだと言っていた。北朝鮮は中国式の経済の改革開放しか生きる道はないと言っていた」と話した。そのうえで、「この発言を報道したり、本にしたりすることで彼が暗殺されたと皆さまが考えるのであれば、むしろこういう発言で1人の人間を抹殺するというそちらの方法にこそ焦点が当てられるべきだ」と強調した。
五味氏は一番記憶に残っている正男氏の言葉を次のように紹介した。金正男氏は少なくとも5回来日したとみられているが、正男氏は東京の高級な飲食店で酒を飲むのが好きだと話していたという。「(正男氏は)『そこには韓国系、北朝鮮系、一般の日本人もいて、一緒に歌を歌い、酒を飲んで、楽しんでいた。いつかこういう風に世界の壁がなくなればいいと思ったものです』と話していた。私は今、日本の外交関係の記事を書くことがあるが、時々彼のこの言葉を思い出しながら書いている」。
五味氏の本の最終章のタイトルは、悔しくも「金正男が平壌に帰る日」だった。中国の支援を受けた正男氏が平壌に戻り、国際的に孤立する母国を立て直す「正男擁立シナリオ」が書かれていた。
北朝鮮が遺体の送還を求める中、そのような姿で故郷に帰る正男氏の思いはいかほどだろうか。無念さは計り知れない。
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