諫早湾の干拓、「ギロチン」閉め切りから20年 開門巡る裁判の和解協議はまだ続く
開門派弁護団は「国には再生予算の権限があり、漁業団体が顔色をうかがうのは無理もない。国の説明は脅しやだましのようなもので、明らかにやりすぎ」と怒りをあらわにしている。
開門派弁護団が基金案を受け入れないのは、基金で行う事業に問題があると考えているからだ。2005~14年までの10年間で、海底耕耘(こううん)や赤潮発生の原因調査などに430億円以上がつぎ込まれた。ただ、漁業者は有明海の再生を実感できていない。事業の中身はこれまでの延長線上でしかなく「有明海再生につながらない」と強調する。
一方、漁業団体が受け入れに傾く背景には、設備投資や稚魚放流など目の前の経営安定に向けた事業も含まれていることにある。厳しい漁業環境が続く中で「開門まで待てない」との思いと、「どうせ開門しないなら、お金をもらったほうがまし」との思惑が交錯している。
今年が大きなヤマ場になる
諫早湾の干拓事業は戦後間もない1952年、当時の長崎県知事が「海を耕地に」と構想を打ち出したことに始まる。その後、相次ぐ高潮被害や57年の諫早大水害を経験し、防災も含めた事業に転換した。86年に事業着手し、97年には潮受け堤防が閉め切られた。
2008年4月には干拓地で営農が始まる。16年10月時点では、干拓地の農地面積666ヘクタールで40経営体がタマネギやレタスなどの露地野菜や飼料作物を生産しており、15年度の農業産出額は約34億円となっている。
一方、2001年にはノリの大凶作が表面化した。諫早湾の閉め切りが原因として、漁業者側が起こした開門を求める訴訟は10年末、勝訴が確定した。しかし開門期限直前の13年11月、干拓地の営農者が求めた開門差し止め訴訟で開門しない仮処分が決定した。国は相反する司法判断があることを理由に確定判決に従わず、今も開門は実現していない。
裁判で、国が開門しないことには制裁金が科されており昨年11月末現在、6億8400万円にも上る。長崎地裁は基金案の議論を「年度末まで」と区切っている。農業被害を最小限に抑える開門方法も示されており、このまま基金案が実現するのか、開門を含む和解協議に転換するのか、今年1、2月が大きなヤマ場となる。