生活苦から「死」を選択した元お嬢様の悲愴 17歳で産んだ娘からも「捨てられた」

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「児童養護施設はすごくいいところだった。住宅展示場みたいな。毎月5000円のお小遣いをもらって、すごくいい暮らしをしていた。課長と別れて引っ越して、なんとか娘を戻すことができたのは中学1年でした」

家族2人が普通に生きていくため、月25万円は必要だった。工場で働くようになって、積極的に残業してなんとか2人で生活できる環境を整えた。現状を児童相談所に報告し、娘との生活を再開させた。

「当時は娘のために稼ぐって意識が強かった。残業すると22時、23時まで仕事。帰ってくるのが遅かった。娘は不満だったと思う。それで中学2年になって、娘が急に“施設に戻りたい”って言い出した。言い合いになってふて腐れて出て行って、夜遅くまで帰ってこなかった。娘に電話して頭にきて“もう、帰って来なくていい!”って怒鳴ったら、そのまま帰って来なくなった……。娘とはそれっきり」

「娘に捨てられた」

何度も聞き直したが、怒鳴って電話して、それが今生の別れになったという。ずっと西野さんは淡々と語っていたが、忘れていたトラウマを思い出したのか涙目になった。娘は自ら児童相談所に駆け込み、そのまま保護、養護施設に戻ってしまった。

「娘に捨てられた、と思った。施設には迎えに行かなかったし、それっきり電話でも話していません。今、何しているかも知らないし、住所は何度も変わっているので娘も探しようがない。生涯、もう会わないし、会えることはないってことです。会いたいとも思わないし、もう、今となってはどうでもいいこと……」

恋人による性的虐待、なんとか生活を支えようと頑張って働けば家庭は破綻――。生活かネグレクトか、出口のない望まない選択しかない中で最終的には娘に捨てられてしまった。

娘を失った西野さんは、精神的に不安定になった。31歳で娘と別れてから14年が経つ。働けたり、働けなくなったりを繰り返して、非正規や派遣を転々とする。そして、現在に至っている。娘のことを思い出したのは、何年かぶり、この数年は頭の片隅にもなかったという。

「やっぱり私が親と妹、家族に愛情がないから、娘もそうなのかもしれない。たったひとりの孤独が受け継がれていくみたいな」

娘の話が出て涙を浮かべた西野さんは、すぐ無表情に戻った。彼女は16歳から家族とは絶縁状態、血が通う娘とも生き別れて、今では思い出すこともない。本当の孤独の中で、誰かを好きになることもなければ、希望みたいなものも一度も浮かんだことはない。ただただ、目の前の今日を生きているだけ。

「自殺未遂以降、先のことは何も考えてないし、福祉に世話になりながらゆっくりただ生きているだけ。もう働くどころか、死にたいとも思わない。本当に何もないですから」

最後は少し表情が和らぎ、そう笑いながら言い放つ。孤独と絶望を超えた先にある虚無な笑顔だった。

本連載では貧困や生活苦でお悩みの方からの情報をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
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